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平成の虚無僧一路の日記

人間は楽器 

2018年04月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



作家の「いしい しんじ」の「楽器であるひとりの人間」というので、読んでみました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・音、声は耳で聞くものと思いがちだが、そうではない。全身の骨が共鳴し、肉が響き、血流が重なり合った音を聴覚器官でとらえている。声を出すとき、喉だけを鳴らして、声が響いているわけではない。声帯は震えている絃の一部にすぎず、楽器である僕たちのボデイは、頭頂からつま先まで、全身なのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさに、私も考えていたことと同じ。尺八は口先だけで吹いても響かない。“吹いたら鳴らない”。“マウス・ボックス”さらに“ボディ・ボックス”、身体全体で響かせる。そうすれば、耳の聞こえない人にも、響きは伝わる。心で聞いてもらえるのだ。さらに、筆者は、劇場・ホールについて、こうも言う。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・劇場や お寺、教会は 全体が楽器。役者の声、読経、説法を、人間を越えたある別のところからの声に変換して、あまねく届ける。余計なものは何もない抽象的な(無機質な)ホールは、そこで演じられるものも なんとなく味気ない気がする。それより、子供の泣き声、お母さんのあやし声、遅れてきた客の足音が闇に混じり、おかしければ笑い、悲しい時にはハンカチの衣擦れが響く、拍手だけでなく、舌打ち、ヤジ、静かな微笑み、そういうものをひとしなみに含み、流れていく芝居、音楽が好きだ。劇場は楽器だし、人間は楽器。つまるところ、一人の人間は一個の楽器なのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さすが、作家「いしい しんじ」。私は今、老人ホームでボランティアだが、お年寄りのささやき、感動のざわめき、痴呆の方の突拍子もない 嬌声、そんなもろもろの音と対話しながら 尺八を吹く。耳の遠い方もベッドや車椅子で寝たきりの人も、私の尺八に反応してくれる。そんな空気が、すごく楽しい。尺八には、耳では聞こえる音以上に不思議な力が秘められている。

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