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平成の虚無僧一路の日記

岩村田藩の山室氏 

2011年05月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



母方の「山室」氏の出自は「千葉県の山室」と
突き止めたところ、親戚から「佐久市の岩村田藩の
重臣に山室がおり、一族ではないか」と手紙が届いた。

早速ネットで検索してみれば、「岩村田藩の重臣
山室尚高の4女」で、明治時代にいち早くロシア
正教会に入信し、石版画でイコンや人物画を描いて
有名となった「山村政子(結婚して岡村)」がいた。

また 同じく岩村田の出身で、詩人で児童文学の
山室 静(しずか)、男性 1906年(明治39年)−
2000年(平成12年)がいる。

では「岩村田藩」とは?。ネットで調べてみると、
江戸時代にできた小藩。

内藤氏の一族「正友」が、初め 500石から出発し、
武蔵・上野・常陸・上総・下総など各地に分散して
1万5千石にまで立身出世し、はじめ武蔵国赤沼藩主
となり、さらに元禄16年(1703年)佐久郡の内、
27ヶ村で1万6000石を与えられ、岩村田陣屋を置いた
ことに始まる。城は幕末まで無かった。

この岩村田藩の山室氏も、江戸時代になって移り住んで
来たとすると、内藤氏が下総に知行地を持っていた時の
代官クラスではなかったかと想定される。そうすると、
やはり 下総 山室の一族か。

尚、内藤氏の一族には、保科家の後の高遠藩を継いだ
内藤清長がいる。「新宿」の地名の起こりとなった
「内藤新宿」の領主だ。こちらには「山室」はいない。

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