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蔵の街 須坂 

2018年03月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

須坂は蔵の街。

いつか行きたいと思っていた。


駅の前の広場で案内図を眺めていると。


側に停車しているバスから一人のおっさんが降りてきて、どこに行くのだ?と土地の訛りで親しげに。




答える前に、田中家に行くのならこのバスだと教えられて、親切なおっさんのお陰で、すんなりと目的地に着く事ができた。




お節介ありがと! 迷わずに済んだ。




半分、聞きづらかったけれど、言葉はお互い通じた。




バス中で、お節介のおっさんと仲良し交流。 笑




気のいいおっさん!




田中家は須坂の宝、誇りなんだ!




「降りろ」と言われた駅で降りる。






「気をつけて行け」と言って手を振って別れた。




長閑さがいっぱい在る街。


須坂の街を眺めて、いい街だ!というのが第一印象。












観光化で全く俗化されていないのが素晴らしい。




良く見る土産物屋とかなし。


風格のある土蔵造りの街が今も生活とともに在る。




バスを降りて、向かうは旧田中家。


案内板もない。




道を尋ねようにも人がいないよ。






江戸中期から守られた三千坪の豪商の館。




驚くべき豪壮な土蔵と家屋が保存されている。






靴を脱いで展示室見学後、庭園を歩く。



















不思議な世界に引き込まれたように感じる一日だった。


三千坪の広さも実感できた。










気やすく話しかけてくれるおっさんもいい人だったなぁ。


わたしの関西訛りは東京ではカッコ悪い田舎者丸出しですが、 地方で耳にできる訛りは、なんとも言えない温かみが伝わります。

















田中本家(須坂市)概要: 田中本家は長野県須坂市穀町に位置していま

す。初代田中新八は、江戸時代中期の享保18年(1733)に酒造業や煙草、


綿、穀物などの商品を取り扱い創業したのが始まりです。須坂藩(藩庁:須坂陣


屋)の御用達を勤めると次第に大きな財力を持つようになり名字帯刀や士分とし


ての立場を得るなど北信濃屈指の豪商・豪農として成長します。敷地面積300


0坪の中には池泉廻遊式庭園を囲むように主屋、客殿、土蔵(20棟)などの建


物が軒を連ね当時の様子を現在に伝えています。現在は"豪商の館 田中本家博物


館"として創業当時から昭和初期までの田中家代々の生活品や収集した所蔵品が展


示されています。

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