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加藤清正公(名所と歴史に学ぶ1) 

2018年03月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



加藤清正公(秀吉股肱の武将)
 
 ☆池上本門寺の石段が加藤清正の寄進であることは有名
 ☆清正といえば、賤ヶ岳の七本槍や朝鮮での虎退治
 ☆東京、名古屋、松本、熊本に清正ゆかりの寺院、神社、史跡多数ある
 (清正信仰は計り知れないもの)

加藤家改易
 ☆清正が没すると、肥後藩は清正の次男忠広が受け継ぐ
 ☆忠広は幼く加藤家は改易かと思われた
 (家老5人で・合議制にせよとの条件付きで認められた)
 ☆合議制をとった肥後藩では、派閥争いが起こる(加藤平左門らが藩政の実権を握る)
 ☆加藤家は突然幕府から21ヵ条の罪状を突きつけられた
 ☆加藤家54万石が改易され、忠広は出羽国庄内の酒井忠勝に預けられ1万石か給された
 ☆忠広が病没し、1人残った嫡子正良が配流先の沼田で自刃した
 ☆幕府は、加藤家終末と覚書に記した
 ☆徳川幕府は、豊臣恩顧の大名を徹底的に潰そうとし、加藤家も例外ではなかった
加藤清正公像(覚林寺が、加藤清正を祀った理由)
 ☆白金の覚林寺は、清正公として信仰と崇敬を集めている
 ☆清正は朝鮮出兵で帰朝の折、朝鮮の王族を殺さずに連れて帰った
 ☆清正は、大切に王子を養育し、王子は出家をし日延と号した
 ☆清正に育てられた恩義を感じていた日延
 (覚林寺を開創し、清正の守護仏である釈迦牟尼仏を本尊とした)
 (命の恩人清正もお祀りされた)
明治神宮の清正井(いど)
 ☆明治神宮は江戸時代初期は加藤清正の下屋敷であった
 ☆加藤家改易のあとは井伊家の下屋敷となった
 ☆清正が掘ったといわれている井戸
 ☆現在でも、一年中絶えることなく清水が湧き出ている
池上本門寺
 ☆本門寺には清正が寄進した石段や清正の供養塔などがある
 ☆清正は、祖師堂を寄進建立し寺域を整備している
 ☆加藤清正の供養塔(清正38回忌に娘が建てた)
清正の正室の逆修供養塔
 ☆層塔の主は、清正の嫡男忠広の生母
 ☆現在は8層しかないが、造立当時11層あった
 (逆修供養とは生前に自分の死後の供養をする)
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『戦国と幕末』















加藤清正公(名所と歴史に学ぶ1)(『戦国と幕末』記事より画像引用)

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