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平成の虚無僧一路の日記

海童道祖 

2018年02月13日 外部ブログ記事
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横山勝也氏の師である海童道祖は、私にとって究極の憧れだ。昭和40年頃、NHK・FMで『産安』『息観』を聞いて、身震いを覚えた。「産むが安しと書いて『産安(さんあん)』。安産の祈りの曲と云われています」という男性アナウンサーの解説も覚えている。しかし、明暗流の系譜に『産安』や『息観』『手向』といった曲は存在しない。「博多一朝軒の普門」という触れ込みだが、「博多一朝軒の当主の娘磯一光さんは、不快の色を顔に出して『あの人は一朝軒には何の関わりもありまっせん』と言っておられた」と、虚無僧研究会機関誌『一音成仏』第3号(S57年)に片田一徹氏が書いている。そんなこんなで、どうも尺八界、明暗関係者からも“いんちき”呼ばわれしていたようだ。そんな尺八界と絶縁して、海童道祖は「尺八に非ず、法器だ」といい、普化の禅、古典本曲の真髄を、前衛的超絶技巧で表現した。それは棒術で鍛えられた体と、精神力で、他の尺八家には到底真似できない苦行の末の孤高の世界であり、尺八界以外の人たちに支持され、「禅の音楽」として世界に広まっていった。海童道の道曲は、本当に虚無僧が吹いた古典本曲なのか? と問われれば“No!”だろう。彼ほどの天才は過去には存在し得なかった。だから海童道の法竹は前衛・現代音楽なのだが、それが、現代人が求める“精神世界”“メディテーション”“禅の心”にマッチしたものとして受け入れられているのだ。ところで、『邦楽ジャーナル』1999年3月号で、横山氏はこんなことを述べている。「先生(海童道)の曲は、どんどん変化していった。全く別の曲かと思えるほど変わっていった。僕(横山)は“昔の方が良かった”と思うこともあって、抵抗もあった」と。そして横山氏は「伝統というものは自分の勝手で安易に変えてはいけないと思っている」と。これは私にとっては意外だった。海童道祖の道曲を劇場用、観賞用に高めたのが横山勝也氏だと思っていたからである。海童道の中で、昨日と今日、10年前と今日、別の曲かと思えるほど変化を遂げていったとは知らなかった。そして海童道の道曲は横山勝也とその門下生によって、ようやく今日、一般尺八家の間でも もてはやされるようになった。ここまでなるのに50年。わが師堀井小二朗は、いみじくも言っていた。「真の芸術家は50年先を生きている。そして音楽の賞味期限は100年だ」と。

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