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聖徳記念繪畫館壁畫集から「一 御降誕」 〜明治150年を考える〜 

2018年02月04日 外部ブログ記事
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明治神宮聖徳記念絵画館に展示されている絵画80点の一番目は「御降誕」である。


館内図の嘉永5年から明治11年までの右側40点は「日本画」。明治12年から大正元年までの左側40点は「洋画」である。





聖徳記念繪畫館壁畫集から「一 御降誕」

壁畫解説には「明治天皇ハ、孝明天皇ノ第二皇子二シテ、嘉永五年九月二十二日太陽暦十一月三日午半刻午後一時頃外祖權大納言中山忠能邸内ノ御産所二於テ御降誕アラセラレル。」「御名ヲ ?宮ト賜ヒ」と記述がある。しかし生母である權典侍中山慶子の記述はない。

田中惣五郎著「天皇の研究」には「昭和天皇は大正天皇の皇后の子として生れられた。これは目ざましいことであり、幸福であったといえる。というのは、孝明天皇は權典侍(正親町)雅子の皇子であり、明治天皇はすでにのべたごとく權典侍中山慶子の皇子、そして大正天皇が權典侍柳原愛子の子だとしたら、すべて權典侍を母として、皇后とは無縁である。ここにいたって、皇后のみから皇子が生れられるということは、さすがに近代的であり、めでたき皇室の発展というべきであろう。」と書かれている。

明治12年に「大正天皇御降誕」なのでお目出たい出来事なのに、何故かその絵画はない。
当時の大正天皇に対する政府の評価だったのでないかと想像している。

「絵画館は大正15年に着工したが、それに先立つ10年前から明治神宮奉賛会は画題の選定に取り組んでいた。結局、80点すべてが完成したのは昭和14年のことだった。」(正論・明治天皇生誕150年記念から)

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