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Jii−Jiiの日記

阿弥陀仏は光明なり 光明は智慧のかたちなり 

2017年12月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



阿弥陀仏は光明なり 光明は智慧のかたちなり
解説
親鸞聖人は『唯心鈔文意』というお書物の中で「かたちもましまさず、いろもましまさず、阿弥陀仏は光明なり。光明は智慧のかたちなりとしるべし」とおおせられます。簡単に意味をとると、阿弥陀仏は形も色もないので人間の眼で見ることはできません。しかし、光が暗闇を照らすように、われわれのおろかさを明らかにする仏の智慧のはたらきとしてあるということでしょう。ある和歌に「われよしと 思う心のはずかしさ 照らされて知るこの心かな」というものがございました。
心境
目がだんだんとなれてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりが、ぼうーと明るく見えてきました。そこで帰るべき方角がわかったというのです。 そう言えば、昔、まっ暗闇の部屋にいて、朝がきますと、雨戸の節穴から光がさし込んで一本の線になってキラキラと輝いていました。 まわりがまっ暗闇なので、一筋の光明がありがたく拝まれるのです。

私は阿弥陀仏は私の心の中にあって、しいて言うならばご仏壇の中に私には見えませんが鎮座されて私を見つめていると想定しています。

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