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雑感日記

零戦 日本の空を飛ぶ 

2017年12月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★私は全然知らなかったが、『日本の空を零戦が飛んだ』今年こんな出来事があったらしい。
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 実はこの話つい先日、田崎さんと酒心館で会った時 突然言い出したのである。
?? これはその時の動画で、零戦がいっぱい出てくるのだがもう一つよく解らなかったのである。
???? http://www.nicovideo.jp/watch/sm32390711
 
 その時、田崎さんが持ってきた写真である。
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その写真をカメラで撮ったものだから、田崎さん足長オジサンに写っているが、横にいるのは、田崎元(はじめ)くんは、
 田崎さんの息子さんである。
   
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 お二人、何故かこんなところにいるのである。
 田崎元(はじめ)くん、長く会っていないが、まだ小学生の頃のアメリカにいたころも知ってるし、川重に入社してバイクで三木にツーリングに来た時に会ったのがもう6年も前になるのだろうか?
 その前に会ったのは、もうずっと以前、1995年ごろ、鈴鹿8耐の時あの岩城滉一が来ていて、岩城滉一のファンであるという田崎さんの奥さんやはじめ君も一緒に会食をしたことがあるのだが、その時突然飛行機の操縦の話になったのである。
 はじめ君は、アメリカにいる時飛行機の操縦の免許を取ったのだが、実は岩城滉一も飛行機の操縦ができるのである。
 お二人に操縦を教えた先生が『実は同じ方』だったのである。
 そんな話を知っているのは、その時同席していた数人だけなのだが・・・・
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?これが今年の6月頃の記事である、
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?そして
 零戦(ゼロ戦)の愛称で呼ばれる零式艦上戦闘機22型(製造番号:三菱第3858号)が、6月3日と4日に千葉県の幕張海浜公園で開かれた「レッドブル・エアレース千葉2017」に特別参加した。東京湾上空を零戦が飛行したのは、約70年ぶりとなった。
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今回飛行した零戦は、三菱重工業が1942年に製造。全長9.06メートル、全幅12メートル、重量1863キロ、最高時速540.8キロで、1970年代にパプアニューギニアで発見された残骸をロシアで復元した。エンジンは、オリジナルの栄エンジンが修理できる状態ではなかったため、プラット・アンド・ホイットニー(PW)社製のものに換装されている。
 現存する飛行可能な零戦の復元機体は、レプリカを除くと全世界で4機で、すべてが米国籍。エアレースへの参加は、零戦の永年保存を目指すゼロエンタープライズ・ジャパンが立ち上げた「零戦里帰りプロジェクト」の一環で実施した。機体はゼロエンタープライズの米国法人が所有している。
 東京湾上空の里帰りフライトでは米国在住の日本人パイロット、柳田一昭さん(66)が操縦桿を握った。ゼロエンタープライズは2016年5月、鹿児島県内で零戦の試験飛行を実施。熊本地震の復興支援で、熊本空港にも着陸している。
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★このパイロット 柳田一昭さんが、田崎元君と岩城滉一さんの飛行機の先生というのでのである。
先日はもう一つ、その辺のところが解らなかったのだが、田崎さんに聞いてみるとこんなメッセージが帰ってきたのである。
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息子 元(はじめ)は、17才のときカリフォルニアで、彼の教育を受け、米国FAAの自家用単発機飛行免許を取得しました。その後、事業用、計器飛行、双発機、水上機、グライダー、ヘリコプター等の米国免許を取得し、今では神戸空港のヒラタ学園で月に一回程度、セスナやロビンソン(ヘリコプター)を飛ばしながら、総飛行時間は1,500時間を超えています。
?という訳で、息子は柳田氏の愛弟子、息子は柳田氏を恩師と仰いでいます。
今回の「ゼロ戦里帰りプロジェクト」では、神戸のヒラタ学園で、飛行計画、機体整備、随伴機との調整、などゼロ戦パイロット柳田教官の手伝いをしたようです。
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 いろいろやってるものである。
 飛行機の操縦など、そんなに難しくはないのか? アメリカでは簡単に取れるようで、飛行機を操縦することなどムツカシクないのかも知れない。
リンカーン工場にいて、川重の副社長をした佐伯武彦さんも、確か飛行機の操縦免許を持っているはずである。
 アメリカのジョンウエイン空港の裏通りに行くと小型飛行機が、日本で言うと駅の自転車置き場のような感じで数え切れないくらい並んでいるのである。
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 日本では、まだまだ飛行機の操縦など夢物語なのだが・・・・
 
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