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関ヶ原の戦いでの裏切り者(朽木・小川・赤座・脇坂) 

2017年11月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



小早川秀秋に呼応して寝返ったものたち

朽木元綱(裏切り者のなかで最も長生きする)
 ☆徳川家から東軍に味方する意思がなかったと判断された
 ☆減封処分を受け、剃髪し84歳で没す
小川祐忠(日和見しすぎて戦後に改易)
 ☆西軍大崩れのきっかけを作った
 ☆日和見な態度が災いし、徳川方に味方する意思がなかったと判断された
赤座直保(裏切るも家康に認められず)
 ☆関ケ原の戦いでは大谷吉継に従うものの裏切って急襲
 ☆徳川家康からは改易させられる
脇坂安治(裏切りで最も得をした人物)
 ☆関ケ原では小早川秀秋らとともに当初から東軍に内通
 ☆開戦後も裏切り、東軍勝利の礎を築く
 ☆関ケ原での論功行賞で、伊予大洲城主となる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人(世界文化社)』


関ヶ原の戦いでの裏切り者(『日本史”悪役”100人』)

朽木元綱(裏切り者のなかで最も長生きする)
父は近江地方の豪族で朽木晴綱
織田信長の朝倉攻めで織田家に味方したことから織田家に仕える
関ケ原の戦いでは大谷吉継とともに出陣する
小早川秀秋の裏切りを見るや一転して味方であった大谷軍を襲い裏切る

小川祐忠(日和見しすぎて戦後に改易)
近江六角氏に仕えていた小川家
浅井、織田、明智、柴田、豊臣、徳川と主人を替えて生き延びてきた
関ケ原の戦いにおいても、当初は西軍大谷吉継に加勢した
小早川秀秋の裏切りを見て一転して大谷軍に攻撃を仕掛けた
合戦後に改易となってすぐに亡くなった

赤座直保(裏切りも家康に認められず)
父親は織田に仕えるが、本能寺の変で討死にした赤座直則
豊臣秀吉に帰属して北条との小田原攻めで武功を認められ2万石を領する
前田利長に仕えて松任城代になった

脇坂安治(裏切りで最も得をした人物)
明智光秀の丹波国黒井城攻めが初陣
秀吉に味方し、賤ヶ岳の戦いでは七本槍の一人として奮闘する
大和国高取城の城主として3万石を領す

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