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平清盛は「悪人?」 

2017年11月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



武士平清盛は、貴族全盛時代にどの様にして頂点「太政大臣」に昇りつめたのか?

平安時代に朝廷の最高位・太政大臣まで上りつめた武士平清盛
 ☆武士の清盛が一代で頂点を極めるた清盛のしたたかな戦略があった
私財で建てた「三十三間堂」、「厳島神社」、「瀬戸内海の整備(音戸の瀬戸)」
 ☆蓮華王院本堂(三十三間堂)は、後白河上皇の敷地内に後白河上皇の為に建てた
 ☆清盛は、後白河上皇と姻戚関係を構築し、武士として論外な出世を果たした
清盛の資金の源(財務省+現在の日銀)は、宋銭の活用でした
 ☆仏具の材料として銅の需要が高まり、宋銭を銅の材料として輸入していた
 ☆清盛は、宋銭に目を付け、大量の宋銭を輸入して国内で流通させた
 ☆平氏政権の政権基盤として、宋銭を財政的な基盤とした
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、「BS11、尾上松也の謎解き歴史ミステリー」、WIKIPEDIA他より














平清盛は「悪人?」(BS11、尾上松也の謎解き歴史ミステリー番組他ネットより画像引用)

京都三十三間堂
後白河上皇の離宮法住寺殿の敷地内の一画に建てられた三十三間堂
 ☆上皇が平清盛に建立の資材協力を命じ清盛の私財で完成した
五重塔なども建つ本格的な寺院であったが火災で焼失し、現在本堂のみが再建されている
 ☆『法華経』に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれている
 ☆名称の由来もその点から名付けられた
後白河上皇は長年頭痛に悩まされていた
 ☆三十三間堂の千手観音の中に「しゃれこうべ」を納めたところ上皇の頭痛は治った
 ☆三十三間堂は「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになる

私財で、厳島神社を宮島の陸地部分ではなく海辺に建てた
宮島は、昔から島自体が「神」として信仰されていた
厳島神社建設の際、宮島の地を傷つけてはならない
 ☆その為、厳島神社の社殿や鳥居は海に建てられた(海に浮いた状態の社殿・鳥居)
 ☆厳島神社は平清盛の出世と共に、出世神社としても名前が広まって行きました
厳島神社の社殿は、平家一門の寄進によって修造や造営が繰り返されてきた
 ☆安芸守任官が縁で平清盛が信仰を深めた厳島神社
 ☆清盛が「太政大臣」になり、大喜びし厳島神社の御祭神に心から感謝しました
中国地方の覇者毛利元就が、厳島の戦いで、陶晴賢に勝利する
 ☆厳島神社に新たなスポンサーとなりました

私財で、音戸の瀬戸を切り開いた清盛
平家は西国(安芸国)を地盤としていました
京都で平家は朝廷内での権力を手中にし、政治活動の中心は京都に移っていく
「安芸国」と「京など畿内」を、安全に早くつなぐ航路の確保は必要不可欠
「音戸の瀬戸」を通過するかしないかで、安芸国と畿内との航海距離が大きく変わる

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