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平成の虚無僧一路の日記

一休大徳寺の住持就任の意義 

2010年05月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



しまった一休さん。それでも「平気平気、気にしない」の
一休さんだろう。

そもそも、「一休は大徳寺の住持に就任しながら、就任式を
欠席した」と明記したものはない。現代の学者先生が「一休の
ことだから、たぶんスッポかしただろう」と勝手に想像して
いるだけだ。

大徳寺は応仁の乱で焼失していたのだから、立派に飾られた
本堂で、大勢の衆僧に迎えられてのきらびやかな就任式が営め
たはずはない。『狂雲集』には、就任時の『法語』が載せられて
いるだけなのだ。

それには「入室」として「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」の
普化の偈が書かれていた。その続きは「退室」だ。三日坊主
ならぬ、一日で入室と退出。その偈は「尺八を弄していう、
一枝の尺八、知音少(まれ)なり」。

この『狂雲集』の最後に掲載された一休の大徳寺住持就任の
「法語」こそ普化の偈「明頭来」と尺八とを結びつけた最初の
ものなのだ。

これが一休の死後、「普化僧=虚無僧」が現れる根源となった
と私は考えている。尺八家にとって、虚無僧にとって、一休の
この「法語」は金科玉条のものとなるのだが、それに気づく者は
誰もいない。水上勉の『一休』のおかげで長らく、ぶっ飛んで
しまっていたのだ。]]>

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