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「鎖国(明治政府の俗語)」と「海禁政策」 

2017年07月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



江戸時代『鎖国』はあったのか?

江戸時代初期、徳川幕府は外国との貿易を順次制限し日本人の海外渡航を全面禁止した
長崎を中心にオランダ・中国など限られた国とだけ交易していた
☆徳川幕府と交易を行い、その貿易で莫大な利益を得ていた!?
徳川幕府VSキリスト教
 ☆家光は、カトリック(ポルトガル)との貿易を止め、プロテスタント(オランダ)と貿易をする
 ☆カトリックは、キリスト教の布教活動が強い(南米のスペイン・ポルトガルの植民地)
オランダからの情報が日本の植民地化を救った!?
 ☆上海アヘン戦争の実情、アメリカの情報等、オランダ政府より伝えられていた
 ☆シーボルト事件(シーボルト、日本地図を持ち出しを不問にし、その後重要な情報を提供してくれた)
「鎖国=ネガティブなイメージ」だった江戸幕府に対する評価
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、番組BS11(尾上松也謎解き歴史ミステリー)、YHAOO知恵袋
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)












鎖国(尾上松也謎解き歴史ミステリー番組画面引用)

「鎖国」のイメージ
「鎖国」は、国境を閉ざして一切外国と関わらないイメージです
幕末頃になってから使われだした言葉です
徳川幕府が「鎖国します」なんて言っていない
学会でも、正式な呼称として「鎖国」ではなく「海禁政策」を使おうとの流れもあります
日本は鎖国していたのではなく、貿易を制限していました
日本は、密貿易も含めて外国との貿易や交流もありました
 ☆(オランダとは長崎)(清とは琉球)(朝鮮とは対馬)(アイヌとは北海道)で貿易
 
日本の海禁政策
貿易する国が限定され、外国人が出入りできる港も限定されていました
貿易する国(オランダ)は、独占的な利益を得ることができました
 ☆アメリカ・イギリス・ロシアとか指定外の国は、何回も通商要求をしてきました
「海禁政策」は、日本独自のものではなく、中国(清)が始めた政策です
 ☆中国は朝鮮が外国の文化をまったく受け入れませんでした
 ☆日本はオランダから様々な学問を「蘭学」と称して輸入します
 ☆外国の様々な情報を長崎経由で入手し、ペリーが来航することも事前に知っていました
広く外国と貿易すると、キリスト教は広まり、経済は外国の影響を受けます

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