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【人骨の会連続戦跡フィールドワーク】 埼玉県立航空記念公園 所沢飛行場・アメリカ軍基地跡巡り 

2017年07月04日 外部ブログ記事
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毎回好評の人骨の会フィールドワークです。拡散して下さい。

【連続戦跡フィールドワーク第2回】
埼玉県立航空記念公園 所沢飛行場・アメリカ軍基地跡巡り

期 日 9月24日(日)9時50分集合
集 合 西武新宿線航空公園前駅東口・航空公園YS-11前
10時出発
案 内 篠原 謙 さん (歴史教育者協議会埼玉支部)
資料代 500円
コース YS11(西武線航空公園前駅東口に出ると、すぐ目の前に見える。この辺りに集合します)→ 峰の坂踏切跡 → 有刺鉄線支柱・倉庫跡→ 御幸町駅前 → 旭橋 → 憲兵隊分遣所跡 → フォール大佐像 → 大正天皇駐輦の碑 → 健空神社 参道 → 米軍の残した英文と標識棒跡 → 荒鷲の池・階段跡 → 倉庫階段跡・兵舎・校舎の階段跡 → 木村・徳田中尉慰霊塔・バスケットボール場跡 → 健空神社と少年飛行兵の像 → 日本初の滑走路跡→ 航空発祥記念館 (記念館内の見学料は各自負担 510円)
昼食を挟んでの米軍基地見学などは、各々の自由意思で…)
近代の戦争は総力戦であり、科学戦であった。原発も電子レンジも、現在ある多くの科学技術は、戦時技術である。その中でも航空技術は、特別な地位を与えられていた花形の技術である。 両中尉慰霊塔航空整備士の像。

日本初の飛行実験は1910(明治43)年に戸山ヶ原で日野熊蔵が行い、初飛行に成功したのも同年、代々木練兵場で徳川好敏による飛行であったとされる。そして、翌1911(明治44)年には、臨時軍用気球研究会所沢試験場が開設され、気球や飛行船を含めた総合的な航空技術の研究拠点としての所沢飛行場がスタートする。
以降、第二次大戦が終結し、陸軍が解体するまでの歴史と、戦後米軍により接収され占領下におかれた歴史、更には粘り強い住民運動の結果、1982(昭和57)年に米軍基地の7割が返還されるまでの戦後史も含めて、「日本航空発祥の地」所沢飛行場跡地とその関連施設・戦争遺跡群を見学する。

主 催 軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会
連絡先 080−3157−1858(鳥居) メールアドレス jinkotsu731@yahoo.co.jp

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