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世界史(アラブ帝国) 

2017年06月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



急激に拡大したアラブ帝国

3大陸にまたがる大帝国を築き上げたアラブ人
ムハンマドの死後、ムスリムの間で選ばれたカリフが統治する正統カリフ時代
 ☆アラブ人は、アラビア半島から各地を征服した
 ☆ササン朝ベルシアを減亡させ、ビザンツ帝国領のシリア、エジプトをも版図に加えた
広範囲を支配するアラブ帝国(ウマイヤ朝)が誕生した
ムハンマドの叔父アッバースの子孫が、ウマイヤ朝を倒しアッバース朝建国
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂)』




アラブ帝国(『世界史(成美堂)』記事より画像引用)

正統カリフ時代の統治
アフブ帝国は、アラブ人第一主義をとる
異教徒や異民族ムスリムに、ジズヤ(人頭税)となフージュ(地租)を課した
第4代カリフのアリーが暗殺される
シリア総督のムアーウィヤがカリフとなり、ウマイヤ朝を開いた
ウマイヤ朝を支持するスンニ派
 ☆正統カリフとウマイヤ朝以降のカリフを正統とした
アリーとその子孫を正統なカリフとするシーア派
 ☆ウマイヤ王朝を認めず、ウマイヤ朝に対抗した

ウマイヤ朝の時代にもアラブ軍は各地を征服
東はインダス川流域まで、西は北アフリカをへてイベリア半島に進出
西ゴート王国を減ばし、フランク王国にも侵入しが、フランク王国の軍に敗れる
西ヨーロッパ全域の征服は成らなかった
ウマイヤ朝は、版図の大きさでは後のアッパース朝を凌ぐ

ウマイヤ朝の統治と後ウマイヤ王朝建国
ウマイヤ朝内では、アラブ化、中央集権化が進められた
カリフ位をウマイヤ家が独占する
 ☆イスラームの理念にもとる政権運営が行われた
シーア派などが不満を強めた
ムハンマドの叔父アッバースの子孫がウマイヤ朝を倒す
ウマイヤ朝のカリフ一族はイベリア半島に逃れ、後ウマイヤ朝を建てる

アッバース朝の統治
アラブ帝国からイスラーム帝国へ
アッバース朝は、ムスリムは平等というイスラーム本来の理念で統治
 ☆アラブ人の特権を廃止した
イスラーム法に則る世界帝国が誕生する






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