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世界史(秦・漢の中華統一) 

2017年05月12日 外部ブログ記事
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秦が統一した中華世界

「戦国の七雄」といわれた強国のうち、秦は富国強兵に成功
政王の代に他の6国を減ばし史上初めて中国を統一した
 ☆統一した政王は都を咸陽に定め、自ら皇帝(始皇帝)を称した
国内統治は、郡・県を基本行政単位とし、長官として中央から宮僚を派遣する郡県を適用
 ☆直接統治による強力な中央集権体制の確立を進めた
 ☆宰相の指導の下思想統制を行った
 ☆行政や徴税の円滑化のために文字、度量衡、貨幣等を統一した
異民族である旬奴(きょうど)の侵入を防ぐ
 ☆戦国時代の諸国が建設した長城を強化・延長し、万里の長城を築いた
始皇帝は自ら巡幸を行い、咸陽には壮一麗な宮殿を建設した
始皇帝が没すると、酷な支配に対する民衆の反感が高まる
 ☆反乱が全国に広がり秦は減亡した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




中国統一秦・漢(世界史(成美堂出版)記事より画像引用)

漢が長期政権樹立
秦末の動乱のなか、貴族出身の項羽が一度は天下を手にする
農民出身の劉邦(高祖)が核下の戦いで項羽を破り、漢王朝(前漢)を建てた
前漢は第7代武帝の時代に最盛期を迎える
 ☆武帝は匈奴を挟み撃ちするため大月氏や鳥孫に使者を派遣する
 ☆西域を重視したほか、南越や衛氏朝鮮を減ばして領土を拡大した
財政面で、塩、鉄、酒の専売、均輸法や平準法の制定などにより税収を図った
武帝の死後は、大土地所有者が豪族となって勢力を伸ばす
朝廷では、外戚と宦官の政争が続くなど、漢の政治経済は揺らぎはじめる
外戚の王弄(おうもう)が帝位を奪って「新」を立て、漢王朝は減亡

漢字の統一で中国の文明も統一
中国では、甲骨文字から派生した象形文字をもとに、各地で字体の異なる文字が使われていた
始皇帝は、小蒙(しょうでん)を作成し文字を統一した
人々は、中華意識を共有することになり、中国文明の統一に大きく貢献した

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