メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

仏教(茶の湯) 

2017年04月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本における喫茶の歴史

喫茶の習慣
 ☆臨済宗の開祖栄西が、宋から持ち込み、臨済宗の寺院では茶礼が確立された
 ☆現在京都の建仁寺で行われる「四頭茶礼」は、当時の礼法にならう
禅宗寺院以外への広がり
 ☆室町時代賭け事である闘茶を行う茶寄合が庶民の間で流行した
高価な舶来の茶器をそろえ、貴族的な茶会が、書院の茶として発展する
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『仏教(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています


茶の湯(仏教(成美堂出版)記事より画像引用)

喫茶の風習を、茶の湯という芸術へ
茶の祖といわれる村田珠光(じゅこう)が高めました
珠光は、浄土宗寺院に入るが、仏道に身が入らず出奔
京都に出て、一休宗純の教えに傾倒して修行を重ね、印可(悟りの証明)も受ける
一休のもとには、連歌師の宗湖や能楽師の金春禅鳳(禅竹の孫)などの文人が集まっていた
 ☆彼らとの交流を通して禅の思想を背景とした美意識を涵養していった
豪華さなどとは距離を置き、簡素な中にも洗練された芸術性を追求する美意識
珠光は、四畳半の茶室に、書院飾りを大幅に簡素化した座敷飾りを施す
 ☆道具の豪華さではなく、内面の充実を重視した新しい芸術「茶の湯」を創始した
珠光の孫弟子にあたる武野紹鴎(じょうおう)が茶の湯に「枯淡の美」の概念を導入
紹鴎の弟子である利休によってわび茶は完成

村田珠光の美意識の言葉
「月も雲間のなきは嫌にて候」
すべて満ち足りた円満具足の美ではなく、雲間に見え隠れする月のような、不完全な美こそが最も美しい
珠光が求めた美意識を垣間見る手がかりの一つです

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ