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仏教(一向一揆) 

2017年03月11日 外部ブログ記事
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戦国大名も恐れた乱世の仏教勢力

戦国時代、宗教的に結束した勢力が各地で既存の勢力に対し一揆を起こす
在地の有力名主による国人一揆が、自治支配を握るなど、下剋上の世の中となった
一国を約90年間支配した加賀の一向一揆
京都で自治体制を敷いた法華一揆とその減亡
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『仏教(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています


一向一揆(仏教(成美堂出版)記事より画像引用)


戦乱の世に現れた下剋上の新勢力
応仁の乱勃発し、主戦場となった京都は灰燼に帰し、争乱は全国に波及
京都での戦闘に参加した守護大名の領地では、守護代が勢力を伸ばす
在地の有力名主による国人一揆が自治支配を握るなど、下剋上の世の中となった
自衛の必要に迫られた農民や町民が政治的・軍事的勢力を形成することもあった
勢力形成に有効だったのが、宗教的な結束でした
浄土真宗の信徒がおこした、一向一揆はその典型例です

一国を約90年間支配した加賀の一向一揆
親鸞の遺骨や像を祀る大谷本廟を前身とする本願寺が飛躍的に発展
 ☆蓮如は教義を平易な文章の手紙(消息)に書いて送るといつ布教活動で、農民層の信者を増やす
蓮如は、政治権力に従いながらも強い信仰心を持ち続けることを主張した
本願寺教団は巨大化し、信者たちは政治的主張を強めるようなる
 ☆守護大名などの勢力と争うようになった
本願寺教団を中心とした勢力は、加賀の国の守護富樫正親を滅ぼす
 ☆以後約90年間、加賀国は富樫氏を名目的な守護とする
 ☆実質は、本願寺教団の自治体制が確立「百姓のもちたる国のよう」と評される

京都で自治体制を敷いた法華一揆とその後の減亡
混乱の続く京都では、町衆を中心とした日蓮宗徒が勢力を拡大
日蓮宗徒は、権力者細川晴元の煽動で、京都で乱行を働いていた一向一揆勢を攻め滅ぼす
 ☆山科本願寺を焼払う
法華一揆勢は、4年間、幕府より裁判権を与えられ京の施政権を把握
延暦寺勢力の巻き替えしにより、日蓮宗寺院をことごとく焼き払われ、日蓮宗徒は一時京を追われる

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