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仏教(密教) 

2017年03月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



最澄と空海が伝えた最盛期の中国密教

堕落した仏教界に新風な吹き込んだ両巨頭
奈良時代の仏教は国家の保護を受けて発展したものの、手厚い保護は仏教内部の腐敗を生んだ
桓武天皇は、長岡京、平安京に遷都
 ☆南都の大寺院の新都移転を認めず、仏教界の刷新を志向する
最澄と空海の登場(2人はとも入唐)
最澄は「法華経」を最強の経典と位置づけ天台教学を中心に、禅や戒律、密教を学んで帰国
 ☆比叡山延暦寺を建てて天台宗を開いた
空海は、中国密教の第一人者だった長安の高僧恵果から密教を学んで帰国
 ☆高野山金剛峯寺を建立して真言宗を開いた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『仏教(成美堂出版)』


密教(仏教(成美堂出版)記事引用)

両者の仏教の特徴
拠点を都ではなく山中に置いた
 ☆山岳信仰と結びついた山中での修行は、奈良時代からありました
最澄と空海はその傾向をより強めました

両者の仏教の特徴
密教です
天台宗では、最澄の弟子の円仁らによって密教化が進んで「台密」と呼ばれた
真言宗では、空海が嵯峨天皇から勅賜された根本道場東寺にちなんで「東密」と呼ばれた
密教も奈良時代から存在していた
 ☆呪術的な祈りで、国家の安寧、病気平癒といった現世利益が願われていた
東密や台密とは
 ☆現世利益
 ☆衆生に利益をもたらす利他行と、大乗仏教の目的である成仏を修行方法に組み込んだ
平安時代の貴族層に支持を広げていった

最澄や空海が渡ったころの中国
密教が最盛期を迎えていた
『金剛頂経』を翻訳した金剛智、その弟子の不空らが登場
呪術的な効果による、現世利益を求める支配層から受け入れられた
 ☆安史の乱に際し、不空が調伏の修法を行ったところ反乱の鎮圧に成功
密教と不空は絶大な信頼を獲得し、不空の弟子が、空海の師恵果です

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