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仏教(最澄と天台宗) 

2017年02月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



平安仏教を決定づけた叡山仏教の確立

最澄は、桓武天皇の信任を受け日本で天台宗を創始
最澄は、帰化渡来人の子孫として近江国に生まれ近江国分寺に入る
東大寺戒壇院にて具足戒を受けたが、世俗化した奈良仏教に見切りをつけた
最澄入寂直後に比叡山への大乗戒壇設立が勅許された
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『仏教(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




最澄(仏教(成美堂出版)記事画像引用)

最澄は、唐で中国天台宗に注目
桓武天皇の信任を受け、遣唐使に還学生として特権的な身分で参加した
唐で天台宗を学び、大乗菩薩戒を受け、禅や密教をも学んで帰国
すべての人は成仏できると説く『法華経』を根本教理の中国天台宗を取り入れる
比叡山を拠点として天台宗を開いた

奈良仏数と対立
最澄の天台宗は、法華円教を中心教義に据えていた
最澄自身が唐で学んだ、大乗書薩戒、真言密教、達磨禅法を兼学する「四宗融合」を特徴とした
「すべての人は成仏できる」という法華円教の一乗説は、三乗説を唱える奈良仏教から批判された
最澄は、法相宗と論争を繰り広げるなど対決姿勢をみせた
東大寺の批判をものともせず、大乗戒のみで出家を認める大乗戒壇の設立に奔走
最澄入寂直後に、比叡山への大乗戒壇設立が勅許されている

比叡山から出た鎌倉新仏教の祖師
比叡山の大乗戒壇設立に伴い、延暦寺の寺号が与えられた
「四宗融合」が深化したことで、延暦寺は総合仏教の寺院と化していく
多様性は鎌倉時代に新しい新しい仏教運動が起こる素地となった
法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らは、比叡山から輩出されている
比叡山延暦寺は、日本仏教の母山ともいわれている

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