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原敬(東京駅で暗殺される) 

2017年02月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



原敬わが国初の“平民宰相”

原は、外務大臣・陸奥宗光に見いだされ、外交次官に抜てきされた外交エキスパート
首相に就任した原は、軍部の長老・山県有朋を説得し、軍の大陸進出にハドメを掛けた
原が構想した国際協調外交への道は、日本のグランドデザインでした
原は、東京駅で、国鉄大塚駅転轍手中岡艮一により殺害された
原の政治力政治手腕は卓抜していた
 ☆原亡き後の政党政治は、一挙にバランスを失ってしまった
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
NHKBS番組『英雄の選択』、WIKIPEDIA
 ☆司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます
















原敬(NHKBS番組『英雄の選択』テレビ画面引用)

原敬の理解者陸奥宗光と中江兆民
原敬は、費用のかからないカトリック神学校に入学した
司法省法学校を受験し、2番の成績で合格したが、寄宿舎の待遇改善活動したとの理由で退校処分
司法省法学校を追放された原は、中江兆民の仏学塾に転校、後に郵便報知新聞社に入社した
大隈重信の一派が同社に乗り込んでくると、彼らと反りが合わず退社

原敬のパリ時代&外務省時代
郵便報知新聞社を辞めた原は、御用政党の機関紙『大東日報』の主筆とした
原は、外務省に採用され外務省御用掛兼務になる
外務書記官に任ぜられてパリ駐在
陸奥宗光が農商務大臣になる、陸奥のひきで帰国後は農商務省参事官、大臣秘書官となった
第2次伊藤内閣で、陸奥は外務大臣に就任し、原は再び外務省に戻った
大隈重信が外相となって入閣したため、大隈嫌いの原は見切りをつけて外務省も辞めた
原は、大阪毎日新聞社に入社し、翌年社長に就任した

原敬政治家の時代(内閣総理大臣)
シベリア出兵に端を発した米騒動への対応を誤った寺内内閣が内閣総辞職に追い込まれる
 ☆政党嫌いの山縣も原を後継首班として認めざるをえなくなった
成立した原内閣は、日本初の本格的政党内閣とされる
 ☆原が初めて衆議院に議席を持つ政党の党首という資格で首相に任命された
原内閣の政策
 ☆外交における対英米協調主義
 ☆内政における積極政策
 ☆統治機構内部への政党の影響力拡大強化等
シベリア出兵についてはなかなか撤兵が進まず、結局撤兵を完了するのは、原没後
衆議院議員選挙法を改正
 ☆小選挙区制導入&直接国税の選挙人の資格を10円以上から3円に引き下げた
原はこれに反対して衆議院を解散し、小選挙区制を採用し、単独過半数の大勝利を収めた

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