つれづれに

7年前の思い出 4 

2017年02月07日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

前回より

我が町は汚水処理場を独自で持ち、処理後のきれいになった排水は河川へ放流していた。
近隣の町では徐々に公共下水道が整備されて、私の街でも、国道を走る下水道本管へ放流せよとの話が市よりあった。つまり、街の処理場は廃止して、未処理の汚水を公共の下水道本管へ放流するのだ。
そのため不要になった処理場の設備を、撤去する工事が求められた。1千戸の街の処理場設備は大規模で、その撤去費用は我が街の負担となる。(1億円近く)この工事の見積もり作業は私が会長になった年からすでに始めていた。つまり、見積もりから工事完成までに2年を要する大工事だった。私自身はこの工事に対する知識は勿論一切持っておらず、市・工事業者数社との折衝などに丸1年程かかりきりの状態となった。10名程の自治会役員幹部は当然全員が素人ばかり。街の住民・80名程の役員への報告・その会議など仕事は山のようにあって、後半の1年間は休日返上で過ごす事が続いたのだ。
ところが、1業者の見積もり上の不正があり、契約解除に伴う弁護士・裁判の話なども起こりそうな状況にもなった。こうなると、住民への更なる対応も必要で、そのための度重なる総会など、本当に恐るべき仕事がふりかかってきたのである。
ある時は幹部役員と私の3人だけで、深夜に幾度も協議をやる事もあった。
会長職3年の内、後半2年間は本当に大変な思いと、私の持病の悪化など、いい事など何一つなかった「会長職」であった。
でも、これも一つの貴重な経験をさせて頂いたと考えれば、捨てたものでもないか・・



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







上部へ