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The Diary 南米旅行・訪日旅行

取材依頼を受けて...地球の裏側で野口英世... 

2017年02月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

ここ最近いろんな雑誌やメディアからのライティング・取材依頼も入ります。エクアドルの小学生がどんな生活をしているかとか...エクアドルで発見する「日本」についてとか...エクアドルの家やその暮らしぶりの紹介とか...そして、取材をしながら、いろんな事を知ります...例えば...野口英世。取材依頼があって、調べているうちに、中南米でこんなにも野口英世博士が敬意をはらわれているんだと知りました。エクアドルにおいては、博士が黄熱病の研究をしており、黄熱病が流行していたエクアドルにほんの数ヶ月滞在しただけなのですが...エクアドルの2大都市、キトとグアヤキルに野口英世の銅像が建てられているんです。キト に お い て は 、「 日 本 公 園 」 と 名 づ け ら れ た 園 内 に あって、公 園 に 面する通りは「ハポン(=日本)」と名付けられています。キト 郊 外 に は 、彼の名前がつけられた学校も存在するんです(もともとは、博士が立ち寄った研究所 だったそう)。どうしてそこまで至ったかは...是非 『Japan class』10号(東方出版)の”世界で発見!こここにもNIPPON"のページをごらんください!そのページには、書ききれなかった他のエピソードをご紹介。*自由奔放な野口英世アメリカにど行くために、「婚約すれば旅費を出す」というオファーを受け、結婚する気がないのにお金をもらう...。船代に当てるはずのそのお金も1回は飲み代で使ってしまったんだそう...。(その後、彼をサポートしてくれていた血脇守之助氏が、借金をしてまで渡航費を用意してくれたんだとか)*片道切符でアメリカにアメリカのペンシルベニア大学のサイモン・フレキシナー先生を突然訪ね、返すわけにもいかない状況を作った野口英世 ...その後はずっとアメリカが、拠点とななるんです。*日本の千円札借金魔だったとも言われる野口博士の顔が使われている千円札。実はこれ、エクアドルで撮影された博士お気に入りの写真。当時の日本人にしては、珍しくとってもおしゃれな人だったそう。*左手の火傷お母さんが「自分の不注意で(英世の)左手を火傷させてしまった」農業はできないから、学問で身を立てさせてやらなければ....と決意。当時は、子供も一家の貴重な労働力だった農家ですが、自らが人の何倍も働いて、博士を勉強に集中させたのだそう。*アメリカ時代「日本人は2日に1度しか眠らなくても済む」と思われるほど、睡眠時間を減らして、研究に没頭していたのだそう。*家の柱に刻んだ言葉医学の道を志し、上京の際に家の柱に刻んだ決意文...「志を得ざれば再び此地を踏まず」(=目標が達成出来なければ、決して故郷には帰らない)*メキシコにも南米は、エクアドルの他にも各国を訪れている...メキシコには50年前に博士の銅像が玉川大学の創始者から贈られています。その、素敵なエピソードはこちらをごらんください。海を越え、時を越える、野口英世博士 2018年 は 、エ ク ア ド ル と 日 本 の 外 交 関 係 設 立 100周年でもあり、野口英世がエクアドルで黄熱病 の本格的な研究を始めて、100年目にもあたりま す。●取材などのお問い合わせはこちらへ、お気軽に!info@surexperience.net●エクアドル スペシャルツアーhttp://www.surexperience.net/ecuadortour中南米・訪日旅行 旅のアレンジ bySUR Experience (スール・エクスペリエンス)http://www.surexperience.netFacebook: surexperience / Twitter: SURJAPON / Blog: sureperienceお問い合わせ info@surexperience.net

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