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日本仏教に宗派ができたのは 

2017年01月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日本仏教に宗派ができたのは、

平安時代の二大宗派が起源です
最澄(比叡山)空海(高野山)に道場を開き仏教を方向づける教義を発信
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『宗教史(成美堂出版)』他引用&参照
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






宗派(『宗教史(成美堂出版)』他ネットより画像引用)

最澄と空藩により生まれた宗派の概念
仏教伝来から日本の仏教に宗派はなかった
平安仏教を代表する最澄と空海の2人により変化した
 ☆最澄は、自分の教義が大乗仏教である点を強調
 ☆空海は、自分の教義は秘められた教えは、密教で顕教(既存仏教)と違う点強調
このような差別化が、宗派という概念につながった

最澄の大乗戒
天台宗の教理こそが、完全な教えである
大乗仏教の僧如は、大乗戒を受け入れるべきだ
修行に禅を取り入れる事
密教を学ぶべき

最澄の革新性と受戒の種類の改善
僧尼の出家で、戒の数が250に及ぶ具足戒を受けることになっていた
最澄は、大乗仏教の僧尼は守る戒が少ない梵網戒で十分と主張
最澄は、比叡山に大乗仏教用の戒壇を置くよう強く求め彼の死後認められた

空海は、仏教無我化の思想
空海は即身成仏の理論だった
「曼茶羅」という仏の世界からみた場合
 ☆密教の行法を行えば人の心は仏と通じ合うことで浄化されて仏心が開けるとした
空海の「密教の行法を行えば成仏できる」とする思想
 ☆受戒を必要としない「無戒」の方向へ導くきっかけとなった

教義より呪術を求めた平安貴族
平安貴族が仏教に求めたのは、もっぱら現世利益のあための祈祷呪術
密教を学んだ空海は、貴族の要望に応じてさまざまの行法を提供
最澄は法華経を本来の教義としていたが、二―ズに抗しきれず、空海から密教を伝授してもらう
最澄の死後、弟子が入唐し、密教導入に尽力した
 ☆天台宗は「台密」、空海の真言宗は「東密」と並び称された

呪術への二―ズが高まり
呪力を高める山岳修行が密教僧の間でさかんとなった
比叡山、金峰山寺が、密教僧のおもな修行所となった
出羽三山等で修験集団が確立した
室町期になり、密教の教義によつて修験道へと休系化された

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