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巨大地震・富士山大噴火 

2016年12月14日 外部ブログ記事
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江戸の復興代官(伊奈半左衛門忠順 )プロフィール

関八州の幕府領を治めた関東郡代は、治水や干拓工事のエキスパートでした
巨大地震が日本列島を襲い、富士山が大噴火した
大災害の復興担当の代官に任命されました
独断で駿府紺屋町の幕府の米倉を開き、1万3千石を村々の飢民へ分配した
この無断行為で、忠順は罷免・切腹を命じられた
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
NHKBS番組『英雄達の選択』参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます










伊奈半左衛門忠順 (NHKBS番組『英雄達の選択』番組画面引用)

宝永の大噴火
宝永4年に発生した富士山の噴火は実に620年ぶりの空前の大噴火
現在も富士山の東南斜面に巨大な噴火口を残し、その部分は宝永山と呼ばれる
小田原藩の全領のうち、6割が大量の火山灰に埋まり、記録が残る大被害となる
 
噴火の被害が大きかった富士山麓
餓死者が続出、被災地の窮状とそれに直面した半左衛門の苦悩
「完全な復興」を遂げるには、膨大な火山礫に埋まった田畑の再生が必須
資金をどうするか?どうすれば火山礫を除去できるのか?数々の難題を解決すべく
前代未聞の行動(幕府高官に訴える半左衛門と被災地の名主)

伊奈忠順(通称は半左衛門)業績
深川永代橋架橋、深川埋め立て、江戸本所堤防修築、浅草川治水工事で業績発揮
富士山噴火で、奉行として派遣される(砂除川浚奉行の最高責任者)
駿東郡足柄・御厨地方へ幕府の支援が一切行われず、59もの村が「亡所」とされた
飢餓に苦しむ者が続出している悲惨な状況となっていた
忠順は、復興開始から4年後、事業半ばで死去
忠順の救済により救われた農民たちは、遺徳を偲びに祠を建てた
須走村に伊奈神社を建立し忠順の菩提を弔った

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