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平成の虚無僧一路の日記

NHK「江」『光秀の最期』 

2011年02月13日 外部ブログ記事
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2/13 NHK大河ドラマ「江」。3日天下、光秀の最期。
私は光秀ファンだから、光秀が「悪役」としては描かれて
いなかったことに満足。秀吉(岸谷五朗)が なかなか憎たらしい。

そうなのだ、明智光秀は信長に最も信頼されていた。しかし、
光秀は「帝(みかど)をも下に置く信長の所業、許しがたし」と
謀反の大義名分を掲げた。それは、秀吉も家康も細川藤孝も
公家も同じ思いで、光秀に謀反をけしかけたのだ。

安土城の発掘調査が行われ、城の大手門の横に「御所」が
造られていたことで、調査委員会は「信長は、ここに帝を
お迎えしようとしていた。信長も 帝を崇敬していたことの
表れ」などとトロイことを発表していた。とんでもない。
信長は安土城の天主閣を居住としていた。まさに「御所を
見下ろす=下に置く」扱いなのだ。

これは、室町幕府、足利三代将軍「義満」も同じことをした。
足利義満は 御所の北側に「相国寺」を建て、高さ100mもの搭を
造った。その上に立って、御所を眼下に見下ろし、後小松天皇に
対し、わが子「義嗣」を次の天皇にするよう圧力をかけた。
(それで、後小松帝の子である一休は邪魔となり、安国寺に
預けられた)。義満は、正倉院を開けさせ、御物「蘭奢待」を
切り取らせた。同じことを信長もやった。

そして もう一人、「蘭奢待」を切り取り、己れの力を示そうと
したのが、お江の子である徳川三代将軍「家光」なのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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