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平成の虚無僧一路の日記

海童道祖 

2010年04月27日 外部ブログ記事
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昭和40年頃、NHK・FMで『産安』『息観』を聞いて、身震いを
覚えた。
「産むが安しと書いて『産安(さんあん)』。安産の祈りの曲と
云われています」という男性アナウンサーの解説も覚えている。

しかし、明暗流の系譜に『産安』や『息観』『手向』といった
曲は存在しない。「博多一朝軒の普門」という触れ込みだが、
「博多一朝軒の当主の娘磯一光さんは、不快の色を顔に出して
『あの方は一朝軒には何の関わりもありまっせん』と言って
おられた」と、虚無僧研究会機関誌『一音成仏』第3号(S57年)
に片田一徹氏が書いている。(これについては、最近ある人から、
「一光さんは普門(海童道)にふられたのだ」と聞かされた。
「海童道祖は女性にもてた」と横山氏も語っている。

そんなこんなで、どうも尺八界、明暗関係者からも“いんちき”
呼ばわれしていたようだ。そんな尺八界と絶縁して、海童道祖は
「尺八に非ず、法器だ」といい、普化の禅、古典本曲の真髄を、
前衛的超絶技巧で表現した。それは棒術で鍛えられた体と、
精神力で、他の尺八家には到底真似できない苦行の末の孤高の
世界であり、尺八界以外の人たちに支持され、「禅の音楽」と
して世界に広まっていった。

海童道の道曲は、本当に虚無僧が吹いた古典本曲なのか? と
問われれば“No!”だろう。彼ほどの天才は過去には存在し得な
かった。だから海童道の法竹は前衛・現代音楽なのだが、それが、
現代人が求める“精神世界”“メディテーション”“禅の心”に
マッチしたものとして受け入れられているのだ。

ところで、『邦楽ジャーナル』1999年3月号で、横山氏はこんな
ことを述べている。
「先生(海童道)の曲は、どんどん変化していった。全く別の曲かと
思えるほど変わっていった。僕(横山)は“昔の方が良かった”と
思うこともあって、抵抗もあった」と。そして横山氏は「伝統という
ものは自分の勝手で安易に変えてはいけないと思っている」と。

これは私にとっては意外だった。海童道祖の道曲を劇場用、
観賞用に高めたのが横山勝也氏だと思っていたからである。

海童道の中で、昨日と今日、10年前と今日、別の曲かと思えるほど
変化を遂げていったとは知らなかった。そして海童道の道曲は横山
勝也とその門下生によって、ようやく今日、一般尺八家の間でも もて
はやされるようになった。ここまでなるのに50年。

わが師堀井小二朗は、いみじくも言っていた。「真の芸術家は50年
先を生きている。そして音楽の賞味期限は100年だ」と。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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