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敗者の日本史(奥州藤原) 

2016年08月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



“最後の敗者”奥州藤原氏

絶え行くもの(男性)、生かされるもの(女性)
頼朝、源氏の身内の木曽義仲を打ち破る
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください










奥州藤原(ネットより画像引用)

絶え行くもの、生かされるもの
女性は助命するという頼朝の方針は、奥州攻めでも一貫していた
藤原秀衡の後家(泰衡の母)は、泰衡らの滅亡後も平泉にとどまり、頼朝の庇護を受けていた
頼朝にとり、秀衡の後家は奥州の平和的支配の象徴となる重要な存在だった
政治家として、敵を滅ぼすこと、助命することの意義を冷徹に見極めようとした頼朝

木曾義仲
源頼朝の父である義朝の異母弟、平氏打倒の令旨に呼応し挙兵
京都に進軍し平家一門を追い出したが、皇位継承問題に介入した
みずからに征夷大将軍を任命させたり、専横が目立ち源頼朝軍に討ち取られた
上洛した源範頼・義経の軍に宇治川の戦いで惨敗した木曾義仲は討ち取られた
鎌倉にいる嫡子・義高は殺害され、木曾源氏は断絶した

阿津賀志山の合戦
奥州討伐に進軍した源頼朝軍を、奥州藤原氏の軍が迎え撃つた戦いでした
壊滅的な打撃を受けた奥州藤原氏は滅亡に向かう

承久の乱
後鳥羽上皇が、朝廷の権力回復をはかり鎌倉幕府打倒の兵を挙げた乱
幕府軍が圧勝し、後鳥羽上皇は隠岐島に配流となった

石清水八幡宮
宇佐神宮から勧請され創建された
遠い宇佐神宮の代わりとして、天皇家に崇敬された

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