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昭和2年生まれの航海日誌

儂が選んだ騎手忠吾やん(2) 

2016年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


  暑い陽射しの中アンパン一つで待たされ、忠吾やんの出走を
 待った。
  水分なんてなんのその今なら、ジュース、お茶があるのになぁ。
  木綿絣に兵児帯、帽子は鳥打帽で靴は記憶にないが多分
 地下足袋であったと思う。
  馬は立派に見えた。

  アラブ種で在所で農耕馬として飼育され、退役砲兵軍人が飼育
 していた。
  競走用として調教したことが殆どなく、馬なら走るだろうくらいの
 期待で馬体は素晴らし光沢であった。

  競争は中団を走ったままで終わった。

  支那事変も長期化の様相を呈し初め、忠吾やんも隣村へ移転
 してしまった。

  寒い冬、”どんどび”をしているとき、馬に乗って忠吾やんが通り
 かかった。
  皆が呼び止め,焼き餅をあげた。
 一杯あればよかったのに。

  礼を述べ、夕闇の中を駈け行く姿を消えるまで見ていた。
  それが最後だった。
  幼い頃の ”どんどび”が忘れられなかったのだと思う。

  サーカスまがいの騎乗をする宗左さん、忠吾やんも鬼籍に
 入ってしまった。

  めぼしい人物はいないものか。
 居た居た、隣村の「五寸釘寅吉」である。

  小柄、頭脳、機敏何より負けじ魂が人を寄せ付けなかった。
  惜しむらくは、当時は騎手になる道が開けていなかったし、
 相当の収入の見込みもなく、悪く言えば、道楽者に扱われて
 仕方がなかった。 
 

  晩年は「寅吉さん」と地元では呼び捨てをする人は見かけ
 なかった。
  いま、こんな人物が輩出しないものだろうか。
  居るに違いがない。
 ” 網走行き”は、さておき」
  

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