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歴史は勝者によって書かれる、創られる(3) 

2016年07月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



学んだ歴史、教えられた歴史は正しいのだろうか?

東亜圏で活躍した日本人(長谷川清、八田與一)
長谷川氏は、台湾初等普通教育義務化、台北帝国大学予科設置など、教育普及に取り組み成果を上げた
八田氏は、烏山頭ダムの建設に貢献し、八田の命日には、現在でも慰霊祭が行われている
日本が大東亜戦争と呼んだ戦争
 ☆アジア諸国を西欧の植民地主義から守り、独立させていくという大東亜共栄圏の戦争
 ☆視点を変えると、張学良や蒋介石の抗日の戦いでもありましたが?
敗戦後の日本で、占領軍が行った教育の骨子
 ☆日本人が悪いのでなく、日本の軍隊・軍人が悪いのである
 ☆日本の軍隊・軍人は諸外国で『悪いことばかりしていた』との教育の徹底
 ☆占領軍の教育は、軍隊の貢献等教えてはならない『自虐史観』教育の徹底でした
歴史は、常に両サイドから物事を見るのも必要では


















活躍した日本人(ネットより引用)

長谷川清氏略歴
海軍兵学校第31期に入校、卒業した後日露戦争勃発
第一次世界大戦では、第二艦隊参謀として参戦
アメリカ出張の在勤が長く、長谷川の後任の海軍駐米武官は、山本五十六です
帰国後は艦長・戦隊司令官を歴任

長谷川清氏台湾総督時代
初等普通教育義務化や、台北帝国大学予科設置など、教育普及に熱心に取り組み効果を上げた
昭和20年海軍特命戦力査閲使に任命され、特攻関係を査察し物資不足で不備であることを天皇に報告した
戦後はA級戦犯容疑で約2ヶ月間巣鴨刑務所に収監された

長谷川清氏人物像
温厚で懐が深く、度量が広い人物だった
長谷川氏に対する誹謗中傷が殆ど聞かれない事からも、人望の篤さが伺える
井上成美は、長谷川氏を高く評価をしている

八田與一(よいち)氏の台湾時代
東京帝国大学工学部土木科を卒業後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職した
台湾では、当初は衛生事業に従事し、嘉義市・台南市・高雄市などの各都市の上下水道の整備を担当した
発電・灌漑事業の部門に移り、桃園大?の水利工事を一任され、成功し高い評価を受けた

八田氏は、嘉南大?(かなんたいしゅう)工事で業績をあげる
国家公務員の立場を進んで捨て、組合付き技師となり完成に至るまで工事を指揮した
総工費5,400万円を要した工事は、大貯水池・烏山頭ダムとして完成した
烏山頭ダムは、嘉南平野を潤していた(1973年曽文渓ダム完成迄)
現在、烏山頭ダムは公園として整備され、八田の銅像と墓、記念館も併設されている

八田氏の台湾での評価(銅像と墓)
八田氏の知名度は、日本よりも、台湾のほが高い
烏山頭ダムでは、八田の命日に、現在でも慰霊祭が行われている
八田の銅像は、ダムの完成後住民の希望でで出来上がった像です(一人熟考し苦悩する様子を模している)
金属類回収令の施行時でも、八田氏の像は、地元の有志によって守り隠され続けられた
八田氏の業績と嘉南の人たちとのふれあいを取材したテレビ・ドキュメンタリーが放送された

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