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敗者の日本史(中大兄皇子) 

2016年07月09日 外部ブログ記事
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中大兄皇子(天皇に次ぐ政治的主導権得る)

乙巳の変で蘇我本宗家討減を果たし、政界の中心人物として国政を担つた
母・斉明天皇の死後、称制をとり、近江遷都後、天智天皇として即位し、さらなる内政の充実を図つた
白村江の戦いに大敗後、中央集権国家建設に奔走へ
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください








敗者の日本史(ネットより引用)

百済救済に進軍するも、唐・新羅連合軍に大敗
百済からの救援要請を受けた倭国軍が白村江で大敗した
白村江の戦いは、女帝の斉明天皇(中大兄の母)が九州筑紫まで進発したことに端を発する
斉明天皇は筑紫で死去し、この百済の役のほころびが生じはじめていた
白村江の戦いにより、都が近江国の大津京に移され、唐からの侵攻を意識した政策が次つぎと打ち出された

中大兄(天智天皇)は、敗戦から何を学んだ?
中央集権型国家建設の必要性
 ☆白村江の戦いに参加した倭国の軍隊は、地方豪族がおのおの編成した私兵でした
中大兄は軍事力・労働力編成の再編と朝廷への権力集中を試みた
政策は甲子宣中心で部民制を全廃した政策
 ☆甲子宣(冠位十九階を冠位二十六階に改定し諸氏の序列を明確)

全国的な戸籍の作成
軍事力・労働力を中央に一元化
中央官制の整備では、太政官の官職にヤマト朝廷以来の伝統的な中央有力豪族を任命した
中大兄は中央集権型の国家をつくろうとしていた

中大兄が目指した部民制の全廃
全面的な実現は難しく、中大兄没後、壬申の乱を経て即位した天武朝時に完成
律令国家で二官八省という中央官制が敷かれ、戸籍による全国支配が完成する
律令国家の礎を築いたひとりには中大兄もいました
壬申の乱で息子の大友皇子が敗死が、中大兄の孫、曾孫によって律令制は完成した

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