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尺八と横笛吹きの独り言

津軽・下北2大半島めぐりの旅……行ってきました。 

2016年07月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

●7/3(日)〜5日(火)2泊3日 津軽・下北2大半島めぐりの旅……老夫婦で行ってきました。
……この旅行で感じた事……
津軽・下北の町々には車窓から見るとほとんど人がいない。六ヶ所村は、日本中の使用済み核燃料が集まる村・大間原発も外国に預けた原子燃料を利用できる原子力発電をめざし、西日本大震災の影響で現在動きはない。過疎化した下北・津軽。原子に村をゆだねる現状と、反対運動と……そはざまで苦悩している。光と影が見える。
我々が1日目に宿泊した薬研温泉も11月には廃館となるようだ。原因は大地震による旅館の痛みだと聞いた。一方では風力にたよる風力発電が下北や津軽で見られた。
それにしても……津軽平野の壮大なこと。津軽富士は美しい。この土壌に太宰治・石川啄木・宮沢賢治を輩出し短命で終わっている。
民謡と関連する地名、鯵ヶ沢・津軽・嘉瀬・金木・十三湖……五能線……いい体験になった。
JRのポスターやテレビで有名になった鶴の舞橋での吉永小百合さん。この舞橋と背景の岩木山は実によく合う景観でした。

●津軽・下北2大半島めぐりの旅……今回の行程地図です
新幹線はやぶさで東京・盛岡 七戸十和田下車◆Χ音貝・薬研温泉(1泊目)・大間崎ぁκケ浦ゴ儻?ァΤ田港Ε侫Д蝓湿菫ァ
・竜飛岬Аβ舅眠浩(2泊目)・鯵ヶ沢五能線・千畳敷・鶴の舞橋・盛岡・東京 

〜絶景ローカル列車「五能線」と下北半島の秘境「仏ヶ浦」!津軽・下北2大半島めぐり 3日間〜
●1日目 7月3日(日) 
 東京駅(7:30〜9:20発)- -【途中乗車】大宮駅- -新幹線E5系はやぶさ号- -七戸十和田駅- 【移動:約90分】-むつ・下北名産センター(陸奥湾産ホタテの殻剥き体験)【滞在:30分】- 【移動:約40分】-恐山(日本三大霊場のひとつ※4月出発は閉山のため尻屋崎へご案内します)【滞在:40分】- 【移動:約60分】-薬研温泉(泊)【大浴場○、露天風呂○】 ※下北の秘湯をお楽しみ

●2日目 7月4日(月)
 薬研温泉(7:30発予定)- 【移動:約60分】-大間崎(下北半島の最北端/車窓)- 【移動:約30分】-佐井港- -<〜仏ヶ浦遊覧船>(人智を越えた神秘的な岩が立ち並ぶ神秘の秘境・仏ヶ浦に上陸!特別航路でご案内)【乗船:約50】- -脇野沢港- -<〜むつ湾フェリー>(陸奥湾を横断)- -蟹田港【乗船:約60分】- 【移動:約60分】-龍飛崎(津軽半島の最北端)- 【移動:約140分】-大鰐温泉郷(泊)【大浴場○、露天風呂○】 ※45屬凌郡杁匱次青森ヒバ香る露天風呂でお寛ぎ

●3日目 7月5日(火)
大鰐温泉郷- 【移動:約90分】-鰺ヶ沢駅- -JR五能線(人気の絶景ローカル列車)【乗車:約30分】- -千畳敷駅- 【徒歩:約5分】-千畳敷海岸【散策:10分】- 【移動:約70分】-鶴の舞橋(津軽富士見湖にかかる三連太鼓橋では日本一長い木の橋)【散策:15分】- -盛岡駅- 【新幹線やまびこ号】-大宮駅【途中下車】- -上野駅【途中下車】- -東京駅(20:00〜22:00着)  

●今回の旅行スナップスライドショー

動画でのバックミュージックは2泊目のホテルでの津軽三味線生演奏・従業員による秋田ねぷた踊り・ガイドさんの説明・仏ケ浦に向かう観光船内などの音が入っています。

●2泊3日の旅でも次の心配をクリアしないといけません。
オカメインコのメカちゃんとジョン君の動物病院の宿泊・義母の病状・朝パートと公民館勤務の調整・老夫婦の健康……などなど
           
 
●バスガイドさん……ベテランバスガイドさんでした。太宰治・石川啄木・宮沢賢治の生誕から彼らの生涯のお話し……感動いたしました。(年月・月日まで全部スラスラと説明していました。)
原子力・風力・方言・歴史・風土……生き字引でしたね。添乗員さんも完璧な丁寧な女性でした。
次の項目はバスガイドさんが説明された内容です。これを後から、再検索して確認したものです。
深く掘り下げますと……勉強になります。

●岩木山の「お山参詣」
弘前(ひろさき)市百沢の岩木山(いわきやま)神社は、津軽富士とも呼ばれる岩木山の麓に1200年前に築かれ、社殿や楼門は、江戸初期から元禄時代にかけて、代々の津軽藩主が造営・寄進。 極彩色の彫刻の社殿、22mの巨大な楼門等、重要文化財に指定されている建物群は見事である。
岩木山神社は、津軽一円の信仰を集めており、津軽の人々は古くから岩木山を信仰し、天候の変化を山にかかる雲の動きで予知するなど、日常生活のよりどころとしている。
旧暦8月1日の奥宮神賑祭(お山参詣)の行事は国の重要無形民族文化財に指定され、1週間、山麓の集落ごとに若者たちを中心に、精進潔斎した人々が白装束で御幣や幟(のぼり)を立てて街道を練り歩き、神社参拝の後、豊作祈願のため『さいぎ、さいぎ』の登山囃子で、奥の宮を目指す。山頂まで(約6km)を行列する。
お山参詣の唱文(登山)
懺悔懺悔(サイギサイギ)/過去の罪過を悔い改め神仏に告げこれを謝す。
六根懺悔(ドッコイサイギ)/人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てて汚れのない身になる。
御山八代(オヤマサハツダイ)/観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王
金剛道者(コウゴウドウサ)/金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味します。
一々礼拝(イーツニナノハイ)/八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。
南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ)/身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。
お山参詣の唱文(下山)
岩木山神社に無事登拝の報告をした後は、楼門からバダラ踊りをして帰途につきます。
いい山かげた朔日山かげた…バダラ、バダラ、バダラヨー
http://www.tozanbayashi.com/oyamasankei.html

●ねぶた
青森県では、8月初旬頃に行われ、大勢の市民が「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレヤ」「ラッセ、ラッセ」「ラッセラー」「ヤーヤドー」「ヤーレ、ヤーレヤ」等の掛け声とともに、武者等を模った人型や武者絵の描かれた扇型の山車燈籠を引いて街を練り歩く。昔は最終日の旧暦7月7日の朝に川や海へ行き、山車燈籠や身体を洗ったり、山車燈籠を流したりしていた。
青森市の青森ねぶた、弘前市の弘前ねぷた、五所川原市の五所川原立佞武多などが有名で、次いで黒石市の黒石ねぷた、つがる市の木造ねぶた、平川市の平川ねぷた、むつ市の大湊ネブタなどがある

●青森ねぶた
人形ねぶた。表が武者人形(坂上田村麻呂)
踊り子(ハネト)のかけ声
らっせーらー! らっせーらー!
らっせ らっせ らっせーらー!!
「らっせ」は「拉っせ」もしくは「羅っせ」で
「殺すな、捕らえろ、連れて行け」という意味を持っている。
というものです。
これは、蝦夷(えみし)討伐に由来しています。
征夷大将軍となる坂上田村麻呂が陸奥国の蝦夷征討(三十八年戦争・第3期)の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠・笛・太鼓ではやし立てたことを由来とするものである

●「ねぶた」語源
「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた(ねぶた)」と転訛(表記は佞武多、禰ふたと様々ある)。「眠り流し」は日本各地で行われている。農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払い、厄災・邪悪を水に流して村の外に送り出す行事のひとつ。

●弘前ねぷた(「ぶ」BUでなく「ぷ」PU)
扇形のねぶた。弘前ねぷたの掛け声はヤーヤドー.
詳しい意味までは分かりませんが、昔の文献を見ると、「ねぷたは流れろ 豆の葉はとまれ いやいやいやよ」という「ねぷた歌」について書かれてあり、この「いやいやいやよ」が現在の「ヤーヤドー」に変わったのではないかと思われま
http://www.neputamura.com/qa.htm

●五所川原市「立佞武多祭」・・・・八戸出身のバスガイドさん第一推薦の五所川原立佞武多(タチネブタ)
平成10年に約80年ぶりに復刻した青森県は五所川原市にて開催される夏祭りです。
 【立佞武多】と呼ばれる、高さ約23m、重さ約19トンの巨大な山車が「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」の掛け声のもと、五所川原市街地を練り歩き、その圧倒的迫力で沿道の観客を魅了しています。

●長野のリンゴより弘前のリンゴのほうが生産量が多い。(新発見)
●青森県は平均寿命が短い。
からいもの、しょっぱいものが好き・・・・に関係しているのでは。
●今回の旅行は民謡や歌謡曲との関連地名が多い
金木・嘉瀬・十三湖・鰺ヶ沢・五所川原・竜飛岬・津軽海峡・五能線・
津軽鉄道

●鰺ヶ沢の秋田犬「わさお」
迷い犬であったが、現在の飼い主に保護され、2008年春に旅行記ブロガーメレ山メレ子のブログで紹介され話題になる。2008年7月29日、日本テレビの『99プラス』にて、ネットで話題のブサかわ犬(ブサイクだけどかわいい)として取り上げられ広く注目を浴びる。2008年12月10日鰺ヶ沢町観光協会よりわさおTシャツが発売され、迷い犬から始まる町おこしストーリーとしてテレビ・新聞・雑誌などが一斉に取り上げ、広く存在が知られるようになる。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

●舞の海 秀平(まいのうみ しゅうへい、1968年2月17日 - )
日本のスポーツキャスター、タレント、NHK大相撲解説者、出羽海部屋所属の元大相撲力士。有限会社舞の海カンパニー(本人の個人事務所)所属。本名は長尾 秀平(ながお しゅうへい)、愛称はシュウヘイ。2013年現在の体格は身長169cm、体重85kg。血液型B型、左利き。

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町舞戸町出身。鰺ヶ沢第一中学校、青森県立木造高等学校、日本大学経済学部でいずれも相撲部に所属。

●はまなす(浜茄子)・・・・北海道の県花
ハマナス(浜茄子、浜梨、玫瑰、学名:Rosa rugosa)は、バラ科バラ属の落葉低木。夏に赤い花(まれに白花)を咲かせる。根は染料などに、花はお茶などに、果実はローズヒップとして食用になる。晩夏の季語。
皇太子徳仁親王妃雅子のお印である
「ハマナス」の名は、浜(海岸の砂地)に生え、果実がナシに似た形をしていることから「ハマナシ」という名が付けられ、それが訛ったものである。

●鶴の舞橋(「ひば」(あすなろ)で作られている)
長さ…300m
幅…3m
橋脚の径…直径30cm(樹齢150年以上)
使用材料…青森県産「ひば」一等材
平成6年7月8日、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、日本一長い三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられました。全長300メートルもの三連太鼓橋はぬくもりを感じさせるような優しいアーチをしており、鶴と国際交流の里・鶴田町のシンボルとして、多くの人々に愛されています。
岩木山を背景にした舞橋の姿が鶴が空に舞う姿に見えるとも言われ、また、橋を渡ると長生きができるとも言われています。夜明けとともに浮かび上がる湖面の橋の姿や、夕陽に色づく湖と鶴の舞橋は絶景で、季節の移り変わりと共に多くの観光客たちの目を楽しませています。

●津軽鉄道
津軽鉄道株式会社(つがるてつどう)は、青森県津軽地方に鉄道路線を持つ鉄道事業者である。津鉄(つてつ)とも呼ばれる。本社所在地は五所川原市字大町39(津軽五所川原駅前)。地元農協や沿線住民が株主となっている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
●十三湖
南北7km、東西5km、周囲31.4kmと青森県で3番目に大きな湖で、十三の河川が流れ込むので十三湖と言われています。また、海水と淡水が混合した汽水湖で、ヤマトシジミの生息する自然豊かな湖です。幻の鳥と言われているオオセッカや、天然記念物のオオワシなど、飛来する鳥や生息している鳥が多く、バードウォッチングも楽しめますhttp://www.aptinet.jp/Detail_display_00000439.html
十三湊(とさみなと)は日本の中世から近世にかけて、青森県五所川原市の十三湖の辺りにあった湊である。近世以降、「じゅうさんみなと」と呼ばれるようになる。また、十三湊の遺跡である「十三湊遺跡」は2005年(平成17年)7月に国の史跡に指定されている。

●青森県と風力発電
青森県は、ついに風力発電施設設備容量が全国一の風力発電施設集積地となりました(平成21年7月)。しかも、9割以上の施設が野辺地から下北半島の地域に密集する特異な地域であり、大手風力発電事業者の全国的なリモート管理拠点にもなっているだけでなく、全国でも初の出力制御型風力発電施設が設置される等、風力発電の最前線となっています。
●下北半島は別名「まさかり半島」とも言われる。
●「来さまい」(かさまい)とは下北の方言で「いらっしゃい」
●青函トンネルは海底より100メートル下を掘削したもの。

●新幹線「はやぶさ」
東日本旅客鉄道(JR東日本)および北海道旅客鉄道(JR北海道)が東北新幹線・北海道新幹線の主として東京駅 - 新函館北斗駅間で運行している特別急行列車である。種別を示す色は緑 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

●新幹線「こまち」
東日本旅客鉄道(JR東日本)が主に東京駅 - 秋田駅間を東北新幹線・秋田新幹線(田沢湖線・奥羽本線)経由で運行している特急列車である。種別を示す色はピンク
東京駅 - 秋田駅間の所要時間は最短で3時間37分。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

●太宰治・・・・1948年6月13日(満38歳没)
青森県北津軽郡金木村(後の金木町、現在の五所川原市)に、県下有数の大地主である父津島源右衛門(1871年 - 1923年)と母タ子(たね、1873年 - 1942年)の六男として生まれた。両親にいる11人の子女のうちの10番目。父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士。津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていた。父は仕事で多忙な日々を送り、母は病弱だったので、太宰自身は乳母らによって育てられた。
1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)は、日本の小説家である。本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。1936年(昭和11年)に最初の作品集『晩年』を刊行し、1948年(昭和23年)に山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺を完遂させた。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
人間失格は生きることへの希望を与える内容
太宰の家は後に斜陽館という旅館になったが、この旅館名の「斜陽館」を名前にして太宰治の記念館としてある。

●石川啄木・・・・1912年4月13日(満26歳没)
岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現在の盛岡市日戸)に、曹洞宗日照山常光寺住職の父・石川一禎(いってい)と母・カツの長男として生まれる。戸籍上は工藤一(くどうはじめ)。戸籍によると1886年(明治19年)2月20日の誕生だが、1885年(明治18年)10月28日に誕生したともいわれている。二人の姉(サタとトラ)と妹(ミツ、通称光子)がいる[1]。
1887年(明治20年)3月、1歳の時に、父が渋民村(現在の盛岡市渋民)にある宝徳寺住職に転任したのにともなって一家で渋民村へ移住する。
1891年(明治24年)5歳。学齢より一歳はやく渋民尋常小学校に入学。1895年(明治28年)9歳、盛岡高等小学校(現・下橋中学校)に入学、1898年(明治31年)12歳、岩手県盛岡尋常中学校(啄木入学の翌年、岩手県盛岡中学と改名、現盛岡一高)で学んだ。三年先輩に金田一京助が居た。また、10年後には宮沢賢治が入学する。盛岡高等小学校に入学し、市内の母方の叔父の元に奇遇する。
歌集「一握の砂」より[編集]
•東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
•たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず
•はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る
•やわらかに 柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
•ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな

●宮沢賢治・・・・1933年9月21日(満37歳没)
1896年(明治29年)8月27日[2] - 1933年(昭和8年)9月21日)は、日本の詩人、童話作家。
1896年(明治29年)8月27日、岩手県稗貫郡花巻町大字里川口第一二地割字川口町二九五番地(のちの行政区再編により花巻川口町、花巻町を経て、現花巻市豊沢町四丁目一一番地)[4]において、質・古着商を営む宮澤政次郎(1874年 - 1957年)とイチ(1877年 - 1963年)の長男として生まれ[5]、同年8月1日付戸籍上の出生届がなされた。弟に清六(1904年 - 2001年)、妹にトシ(1898年 -1922年)、シゲ(1901年-1987年)、クニ(1907年 - 1981年)がいる。
• 『銀河鉄道の夜』
• 『風の又三郎』
• 『ポラーノの広場』
• 『グスコーブドリの伝記』※
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
• 『雨ニモマケズ』(あめニモマケズ)は、宮沢賢治の没後に発見された遺作のメモである。一般には詩として受容されている。広く知られており、賢治の代表作のひとつともされるものである。
『雨ニモマケズ』『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』などは
高村光太郎が宮沢賢治の倉の中から死後に発見したもの。

●大間原子力発電所
大間原子力発電所(おおまげんしりょくはつでんしょ)は、青森県下北郡大間町に建設中の電源開発の原子力発電所である。
ウラン燃料だけでなく、MOX燃料(使用済燃料から、再利用できるウランやプルトニウムを化学的に取り出したもの)
を全炉心に装荷できることが特徴であり、1995年8月の原子力委員会決定によると、「中期的な核燃料リサイクルの中核的担い手である軽水炉によるMOX燃料利用計画を拡げるという政策的な位置付けを持つ。」とされている。
使い捨てた原子力燃料は現在、外国にあづけている。これを国内でも使えるようにする原子力発電所。
• 2008年5月 第1回工事計画認可(着工)
• 2011年大震災で中止
• 2014年11月に延期することを発表
• 2010年7月 青森県大間町や対岸の北海道函館市の市民グループ168人が、国と事業主の電源開発(東京都中央区)を相手取り、設置設計取り消しと建設差し止めを求める訴訟を函館地方裁判所に起こした。総額510万円の損害賠償も求めている。
大震災級の被害が出たとき、大間の住民は保証されるが、函館は保証されない。
• 2014年11月 運転開始予定(当初の予定である)、現在は未定となっている

●青森県の風力発電
青森県はついに風力発電施設設備容量が全国一の風力発電施設集積地となりました(平成21年7月)。しかも、9割以上の施設が野辺地から下北半島の地域に密集する特異な地域であり、大手風力発電事業者の全国的なリモート管理拠点にもなっているだけでなく、全国でも初の出力制御型風力発電施設が設置される等、風力発電の最前線となっています。
 風の吹く方向に羽根は自動的に向く。風が吹かなければ羽根(ブレード)は回らない。ある一定以上の風速で羽根が回るというお利口さん。一基当たり15000KW送電。
風力発電に適している青森
風力発電に適した風が年間を通して安定的に吹くことが必要です。
機材の陸揚げや運搬が可能なこと
送電線に接続できること
周辺環境に影響を与えないこと


●およそ3分35秒
Youtubeスライドでのバックミュージックは「青森ねぶた」・「津軽三味線」・「バスガイドさんの声」・「仏ヶ浦に向かう小型観光船内の様子」・「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」
二日目の夜にアトラクションで津軽三味線(師匠と優勝者の2名による)・ねぶた祭り(従業員の方による)がありましたのでこれを使っています。


 
●津軽藩と南部藩について
●南部の人間と津軽の人間(歴史的背景)でも「犬猿の仲」
南部・・・・青森県南東部と岩手県中部ならび北部を指すことが多い。
津軽・・・・現在の青森県西部を指して言う地域呼称。江戸時代に津軽氏が支配した領域(弘前藩・黒石藩の領域)および津軽郡の領域にほぼ相当する

... 南部は家臣津軽為信に津軽を乗っ取られた積年の恨みをいまだ後生大事に持っておる。 .
さらに長く対立姿勢を続けてきた南部藩と津軽藩は戊辰戦争においても、南部藩は幕府軍を 津軽藩は新政府軍をそれぞれ ... 結局青森市に決定するのだが、それに納得しなかった 南部の人間は、青森県庁に対抗して市役所を「八戸市庁」とした
歴史的背景でも「犬猿の仲」だった津軽(西部)と南部(東部)のふたつの地方が統合されてできた青森県。統一されたとはいえ津軽弁、南部弁の方言はもちろん、民謡に至るまで県民性も大いに異なるのが特徴。津軽にはでしゃばりタイプが多いのに対し、南部は口ベタで引っ込み思案が多く両極端といえる

●津軽弁と南部弁の違い
津軽弁
・発音が簡潔で、歯切れがいい
・南部弁に比べて「です」「ます」に相当する丁寧な表現を
 あまり用いない
・語調や抑揚が強く、「男性的」
南部弁
・イントネーションがゆるやか。間延びした感じがする

・ことばの終わりに丁寧表現がたくさん付くため、やさしい
 感じがする
・情緒があり、「女性的」

  例文:弘前大学においでなさい
南部弁ヒロサギダイガグサ コイへ
津軽弁ヒロサギダイガグサ オイデアレ

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