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天皇と神社(10)穂高神社、諏訪大社 

2016年04月15日 外部ブログ記事
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天皇家と海神の謎(穂高神社、諏訪大社)

穂高神社『御船祭り』は、安曇族が、自らのルーツを忘れないために続けている祭りなのかも
穂高神社主祭神の2柱は、九州の志賀島を本拠とした安曇族が奉祀する神です
安曇族は、全国各地へ移住し、安曇、渥美、熱海などは、安曇族が移り住んだ土地の名前です
諏訪大社の『御柱祭』「御神渡り」行事
出雲族の侵入により、この諏訪の地でももうひとつの「国譲り」が行なわれた
初心者にもわかる『天皇と神社』平成26年版参考&引用
















天皇と神社(ネットより引用)

穂高神社の御祭神
主祭神の2柱は、安曇族が奉祀する神です
安曇氏は、日本の海を自由に行き来した海人族で、海神の子孫と伝えられている
「海人津見」(AMATUMI)が変じて安曇になったとの説もある
大和朝廷では、海路の技術に卓越した安曇族は重用されました
安曇族の中でも、特に名高いのが、安曇比羅夫です

安曇比羅夫とは
舒明天皇の御代に、百済に使者として派遣された比羅夫は、日本と百済の梯として活躍
比羅夫は、百済の再建に尽力したが、白村江の戦いで命を落としました
穂高神社の御船祭りは、比羅夫の命日に行なわれている

穂高神社の「御船祭り」
御船祭りでは、穂高人形を飾りつけた船型の山車「お船」が曳かれる
その華やかなお船が、互いに激しくぶつかりあう様は、海戦さながらの迫力です
海のない内陸の信濃の山里で、なぜ船の祭りなのか?

安曇族は、比羅夫を失い、日本各地に散らばった
安曇、渥美、熱海などは、安曇族が移り住んだとされる土地の名前です
滋賀県の名称の由来も、安曇続が住んだ、志賀島由来の地名です
信州の安曇野は、安曇族が辿り着き、定住した場所です

諏訪大社
諏訪大社上社の祭神は、大国主命の国譲りで天津神に敗北して当地に落ち延びた祭神
信州諏訪湖の周囲に鎮座する上社本宮・上社前官・下社秋宮・下社春宮の4社からなる諏訪大社
日本最古の神社の1つといわれ、軍神として崇敬された
7年に一度行なわれる『御柱祭』で名高い大社は、信濃国一宮として古くから崇敬を集めてきた

諏訪大社の「御神渡り」
諏訪湖は、全面氷結する時期があります、凍った湖面に山脈のような筋が走ります
隆起が起きると、八剱神社の宮司が確認し、御神渡りであることを認定する
隆起の具合や割れ目、御神渡りが走る方角などから、天候や農作物のできなどが占われる
諏訪大社上社の祭神(夫)が、諏訪大社下社の祭神(妻)の元へ通う道筋です

諏訪での、出雲族と守矢族との争い
出雲族は、「国譲り」が行なわれ出雲をから各地へ移住
出雲族は、能登・越後・長岡、長野、上田、松本経て諏訪に入った
出雲族の侵入により、この諏訪の地でももうひとつの「国譲り」が行なわれた
出雲族は、祭神ともに、諏訪の地にやってきて、守矢氏と戦った
守矢氏は負け、諏訪氏(出雲系)が生神の位に就き、守矢氏が筆頭神官の神長官となった
諏訪氏は、文武に優れ、鎌倉時代には北条氏の御内人となったことで、全国に社領を拡大した
諏訪にもたらした出雲族の血脈は、こうして各地に広まった

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