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天皇と神社(9)宗像大社・美保神社 

2016年04月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



天皇家と海路の謎

宗像大社の御祭神は、宗像三女神、沖津宮は沖ノ島です
美保神社の御祭神は事代主神で、神社に伝わる諸手形船神事との意味する事
天照大御神は、大国主命に国譲りを迫ったその過程は?
初心者にもわかる『天皇と神社』平成26年版参考&引用
















天皇と神社(ネットより引用)

宗像大社の御祭神は、宗像三女神
北部九州を拠点とした海人族の宗像氏が奉祀した神です
宗像氏は、天皇に娘を嫁がせることで外戚となり、多大な権力を有していました
朝鮮半島との交流で、宗像氏が祀る神を、国家をあげて祀るようになりました
宗像氏は、天皇に娘を嫁がせることで外戚となり、多大な権力を有していました

宗像三女神が朝廷から重視された理由
高大の原を追われた須佐之男命は、暇乞いで、姉の天照大御神に会いに行く
須佐之男命は、自分に邪心がないことを証明するため「ウケヒ」(誓約)を持ちかけた
ウケヒで、天照大御神が須佐之男命の剣を折って、清らかな水をそそいだら、宗像三女神が生まれました
天照大御神は、宗像三女神に「奉助天孫而為天孫祭」との神勅を与え玄界灘に派遣した
宗像三宮の社殿には、天照大御神のこの神勅を伝える額が掲げられている

宗像大社と沖ノ島
沖ノ島は、宗像大社の沖津宮(OKITU)です
沖ノ島は、無人島で、神の島として信仰の対象となってきました
島全体が御神体とて仰がれ、下記の事が禁忌(掟)が現在でも守られています
 ☆「女人禁制」「島で見聞きしたこを語ってばならない」「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」等
沖ノ島の祭場跡には、これらの禁忌により、古代人が祭祀を行なった際の奉献品が残らず有りました
発掘により、8万点以上の宝物が出土し、全てが国宝に指定されています
宗像大社の御祭神は宗像三女神と呼ばれる3姉妹の女神です

美保神社の祭り、熊野諸手船
御祭神は、代主神です
出雲では早くから航海技術が発展し、出雲では、航海技術が優れていた証です
大国主命の国造りを手伝った少彦名神、大物主神は、神式天皇より先に大和に入りした
これらの神々は、いずれも、船に乗って現れている
出雲に関わりのある神々は、海に関係深い神々です

熊野諸手船とは
熊野諸手船で、事代主神のもとへ向かう様子を再現したのが「諸手船神事」です
出雲族のルーツは福岡の志賀島を本拠としていた安曇族にあるとの説もあります
宗像氏は、安曇氏の海運をも掌握していたと考えられています

天照大御神は、大国主命に国譲りを迫った
天照大御神の3人目の使者建御雷之男神(TAKEMIKZUCHI)を派遣
建御雷之男神は、剣を逆さに突き立ててその上に座して国譲りを迫る
大国主大命は、「私の一存では決められません。我が子にお尋ね下さい」と申した
大国主大命の子供は、事代主神(KOTOHIRONUSHI)は出雲から少し離れた美保関で釣りをしていた
事代主神は、「畏しこの国は天神の御子に奉りたまえ」国譲りを承諾すると旨伝えた

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