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天皇と神社(3) 

2016年04月08日 外部ブログ記事
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天皇と神社

天皇と勅祭社
勅祭社二十二社に選ばれた神社の共通点
宇佐神宮が、第二の宗廟とされた理由?
初心者にもわかる『天皇と神社』平成26年版参考&引用










天皇(『天皇と神社』より引用)

天皇が、有力氏族が祀る氏神を重んじてきた歴史
天皇からの使者が勅使で、勅使が派遣され、天皇からの(捧げ物)が神前に供えられる祭りを勅祭という
勅祭が行なわれる神社を、勅祭社と呼ぶ
自然の恩恵や脅威を肌身に感じていた古代人にとり、生活に関わる全てが「神頼み」だった
豊作祈願(祈年祭)豊穣感謝(新嘗祭)雨ごい・害虫除けの祭等、様々な目的の祭りが国家規模で行なわれた

律令制では、国家の祭りとして、朝廷から幣帛(へいはく)を賜る神社は多数あった
古代人にとり、生活に関わる全てが「神頼み」だった
豊作祈願(祈年祭)豊穣感謝(新嘗祭)雨ごい・害虫除けの祭等、多くの祭りが国家規模で行なわれた
朝廷の財政難などから、朝廷が奉幣する神社を厳選した
朝廷から特別に奉幣を受ける二十二社を決めた

二十二社に選ばれた神社の共通点
伊勢神宮、国家第二の宗廟石清水八幡宮は、皇室と縁の深い神社
龍田大社・廣瀬大社・貴船神社などは、農耕に関して祈願を行なう神社
氏族が、朝廷と強い結びつきを持っ氏神神社
 ☆大神神社(大神氏)石上神宮(物部氏)大和神社(倭直氏)下上賀茂社(賀茂氏)
 ☆ふしみ稲荷(秦氏)梅宮大社(橘氏)春日大社(藤原氏)
皇室と結びつきの氏族が、自分たちの氏神に、朝廷から幣帛を奉らせていた
有力氏族の支えがあってこその朝廷であり、朝廷の崇敬が篤かったともいえる

明治維新で、新しい視点で勅祭社が設けられた
明治天皇の最初の勅祭は、武蔵国一宮の木川神社に勅使を派遣して行なった
勅祭社の数は増え、今日では16社が勅祭社として指定されている
下上賀茂社の賀茂祭(葵祭)石清水八幡宮(石清水祭)春日大社(春日祭)は三勅祭として有名
宇佐神宮や香椎宮には、10年に一度、鹿島神宮と香取神宮には6年に一度勅使が派遣される
靖国神社は、年に2度、春季と秋季の例大祭に天皇からの勅使を迎えて祭りを行なっている

宇佐神宮が、第二の宗廟とされた理由
宇佐神宮は、全国に4万余社あるといわれる八幡宮の総本宮です
神社案内にも「伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟、勅祭の社として皇室からも崇敬篤い」と記されている
国東半島の付け根にある宇佐の神社、なぜ皇室の崇敬が篤かったのだろうか?

中国の「天子は南面す」思想
日本には古来、真ん中が最も尊く、左が上位、右が下位という配置の序列がある
玉座に座る者は南に向いて座った
玉座から見て、日が昇る東は左で左の方が上、日が沈む西は右の方下
石清水八幡宮は、都近くで宮城を鎮護するために、宇佐神宮から八幡神を勧請したことに始まる
石清水八幡宮は、真ん中に御前に応神天皇、左に母神の神功皇后、右に比売犬神を祀っている

作家の井沢元彦氏の見解
宇佐八幡宮では、八幡神は少し違った祀られ方をされている
向かって左に応神天皇、中央に比売犬神、右に神功皇后を祀っている
宇佐では、比売大神が天皇よりも上位に祀られており、比売大神は実は天照大御神
天照大御神は太陽神として祀られた卑弥呼でないのか?
都から遠く離れた宇佐神宮は、比売大神(天照大神)の存在が皇室にとり重要だったのでは?

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