メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

Jii−Jiiの日記

「天才・石原慎太郎著」テレビ石原出席 「金スマ」を視聴して 

2016年04月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



田中角栄の人々の心を掴んで離さなかった「人間力」を読んで更にテレビを視聴して感動しました。
1947年第23回衆議院議員総選挙に出馬(当時28歳)
1962年大蔵大臣に就任(憲政史上最年少)
1972年「日本列島改造論」10,000キロ高速道路、9,000キロ以上の新幹線網計画・主要都市への移動3時間圏内、各県の空港建設を推進
1970年首都高速道路(人・モノの流通がままならない即ち道路は国の動脈、地方と都市)
1952年ガソリン税の導入(マイカーブーム予見)
1972年日中国交正常化(よって我が国の外交は約8億人の巨大市場と豊富な資源)
1972年9月25日 毛沢東と会談実現
1957年郵政大臣に就任 1953年テレビ放送を開始 1957年43局に免許を交付
1958年10月東京―タワー完成 1960年カラーテレビ放送開始
1974年9月角栄批判論文「君国売り給うことなかれ」
1976年田中内閣総辞職 
1993年12月16日田中角栄死去

以上功績と「ロッキード事件」を中心に田中角栄の金権政治に違法性があると指摘され逆風にさらされ個人的には恵まれずに生涯を終えました。

「私はまぎれもなく田中角栄の金権主義を最初から批判し真っ向から弓を引いた人間だった。たから世間は今更こんなものを書いて世に出すことは政治的な背信と唱えるかも知れぬが、政治を離れた今こそ政治に関わったものとしての責任でこれを記した。
田中角栄と言う天才の人生はこの国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは決して意味のないことではありはしまい」と石原慎太郎は番組をしめました。

最後に私は、現役の総理大臣が裁判にかけられ実刑有罪で刑に付された驚愕の事実は、何かとてつもない圧力がかかったものだとする意見に同意します。

 

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ