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坂本龍馬(豪快・自由奔放・風雲児)? 

2016年04月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



歴史再考『坂本龍馬IN長崎』

歴史再考は、時代を築いた名将や偉人の足跡を、経済目線で見る番組です
坂本龍馬座像の代表的写真(上野撮影局で撮影された)撮影のの裏話&亀山社中の役割?
博識のいとうせいこう氏が女性ガイドと各所に残るモノやエピソードから経済術を探っていきます
BS11『せいこうの歴史再考』(私の好きな番組です)番組参考&引用




















坂本龍馬(『せいこうの歴史再考』番組引用)

有名な、坂本龍馬
江戸時代末期の志士、土佐藩郷士
土佐の裕福な商家に生まれ、脱藩した後は志士として活動しました
貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成しました
薩長同盟の斡旋、倒幕および明治維新に、多大な影響を与えました
大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺されました

亀山社中 (後の海援隊)
商業活動に従事する近代的な株式会社に類似した性格を持つ組織です
商人が参集していた長崎を根拠地として、京都の酢屋他に事務所を設置ました
亀山社中の成立は、商業活動の儲けによって利潤を上げることでした
薩長両藩和解の目的も含まれており、後の薩長同盟成立に貢献しました
海援隊士開成館長崎商会主任は、岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)氏でした
社員の給料は、全員同額で、一般の人の給料より3倍位高かったです

中岡慎太郎と薩長同盟
土佐脱藩志士中岡慎太郎他は、薩摩、長州の如き雄藩の結盟を促し武力討幕を望んでいた
中岡は、長崎で龍馬と桂を引き合わせた
龍馬は、桂に薩摩の西郷隆盛と会談することを承服させ、中岡は薩摩に赴き西郷に会談を応じるよう説きました
龍馬と桂は、西郷を待ったが、西郷現れませんでしたが、龍馬と中岡は薩長和解を諦めませんでした

倒幕急先鋒の長州藩と薩摩藩との貿易を亀山社中斡旋
幕府は、長州との武器弾薬類の取り引きを全面的に禁止しており、長州藩は近代的兵器の導入が難しくなっていた
薩摩藩は、兵糧米の調達に苦慮していた
龍馬は、薩摩藩名義で武器を調達して密かに長州に転売し、代わりに長州から薩摩へ不足していた米を回送する策を提案した
取り引きの実行と貨物の搬送は、亀山社中が担当する(170億円位のバーター貿易)
この策略により、両藩の焦眉の急が解決することになるので、両藩とも自然これに首肯した
長崎のグラバー商会からミニエー銃4,300挺、ゲベール銃3,000挺の薩摩藩名義で買い付け斡旋に成功した
同時に薩長和解の最初の契機となった

坂本龍馬座像の代表的写真(上野撮影局で撮影された)
写真撮影費用は、現在の価格にすると1枚約3万円位です
京都屋敷において、桂と西郷の会談が開かれた
龍馬が立会人となって、薩長同盟と呼ばれることになる盟約を結んだ
盟約成立後、龍馬は伏見寺田屋で祝杯を挙げたが、新撰組の襲撃を受け大怪我を覆う
寺田屋遭難での龍馬の傷は深く、写真撮影などでは、怪我した左手を隠していることが多い?

料亭『花月』と卓袱料理
幕末から明治にかけて歴史の舞台となった史跡料亭
創業361年の花月、名物料理は、お座敷での卓袱料理です
卓袱料理(中華・洋食・和食を合わせた宴会料理ので、大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで味わう)
江戸の吉原、京都の島原、長崎の丸山“天下の三大遊郭”といわれ栄えました
龍馬、グラバー等歴史に登場する人物が、卓袱料理を囲んで懇談・交渉をした場所です

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