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朱鷺の“人生七転び八起き”
感謝が素直にできない
2016年02月23日
テーマ:テーマ無し
あいも変わらず「感謝」がテーマ人間は未熟児で生まれます。生まれ出た時から生きていくために自分以外の存在を頼ります。アヒルは目の前に居て動くものを親と思う・・とか。あるいみ、たまたまその人が親である。たまたま家族である。たまたま一族である〜まっ。遺伝的には引き継いでいるものも、資質の要素としてはあるけど。・・・だから、人の根本には「承認欲求」があるんよね。「この私で、いいですか?」と確認して回る〜傍から見れば「何してんの?」と思うようなことも、その根っこに承認されたい。されたら安心・安全があるね。で、親から承認されても、当然すぎて嬉しくない・・・のもあるわけ。愛されて、受け止められて当然。なわけですから。(しかも「こうであれば愛してあげる」要求を出されたら、ウンザリです)身内の甘えもあって親なのに子に承認してもらいたがったり。なんのかんのと、ウルサイわけさ。さて〜世に出てね。素晴らしいとか。豊かだ。とか。能力がある。と称えられる。そうであれば、安心なだけ。守ってくれる味方が増える。・・・それ以外の理由がない。そういうもので勝ち取った承認は、浮動票ですから、安定していませんが。ただの私。何もない私。なにもしない私。それなのに・・・愛されている。受け入れられている。守られている。そこに立ってこそ。親をただの人と見る、他者を自らとして受け入れる。となるか?。だってね。。何もない私は価値がないと思っていたら、親に見捨てられたくないし他者からは侮蔑の視線で見られているのではないか、と懐疑心マンマンでしょ?侮蔑対立の他者と、同船は・・・怖いもので、相手も怖がる〜何かにつけて承認欲求は・・・自らを滅ぼす・といってそれを「ない」と思い込むことも、単に「捨てる」ということでもない、複雑怪奇がソコにはある。善きことをしたらばしたで得意になる。「私は、こんなに善き人ですー」って。で、まあ、そこにある「情けは人のためならず・・・」善きことのできる自分は特別な自分じゃないわけ。お金は天下の回りもの。情けも天下の回りもの。ありがたーい! と感謝したくなることはいままで山ほどあった。ありがたかったから、お返しを〜じゃない。思い起こせば、あれも有難かった。となっても、お返しをする相手が・・いない。それも山ほどあるわけで。相手に返すように、ほかへ回す。そんなふうに。回りまわって、自分のところにもまた舞い戻って来たり。もしかしたら、すでに来ていた。それに気づかずにいた・・・なんてもんですよね。思い起こせば・・・で。人として歴史が始まって以来、何万年。ずっと、回って、回って。始まりがあるやらないやら。始まりの感謝に・・・感謝(^^♪
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