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平成の虚無僧一路の日記

「ホームレス川柳」にコメント 

2011年01月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



当ブログ 1/14 「ホームレス川柳」に、「宴の桜」様から
コメントをいただいたので、掲載させていただきます。


「・散る花に 寝床取られる 春の宵

下から五番目の川柳だけ、かけ離れて美しく感じます。
これって川柳というより俳句で通らないでしょうか?
俳句、朝顔に…に倣った川柳なのでしょうか?でも
あまりに綺麗で何度も拝読しました。一路先生は
ホームレスになっても見苦しくはなられないような
気がします」。

「宴の桜」様。いつも見ていただいてありがとうござい
ます。私もこの句だけ違う!と感じていました。桜の
花びらが散り積もって、寝るのもためらったとは、
なんと風流。

私も、尺八が吹けなくなってホームレスになったら、
「廃人」ではなく、山東火のような「俳人」になろうと
思うのですが・・・。今から勉強しよう。


そう「見苦しくない」で 気づかされたことが。

『七十一番職人歌合』(1500年頃の作) に描かれている
「暮露(ぼろ)」は、白の紙子に黒の袴で、身なりもすっきり。
歌も詠みます。前々から「ボロを着ているからボロ」という
説に疑問を抱いていました。そしてネットで検索していたら、
なんと「暮露は 大きな傘を持っていて、傘の柄を叩きながら
『一字金輪の呪(じゅ)=のうまくさんまんだ ぼたなん
ボロン」と唱えていた」という記述がありました。

つまり「ぼたなんボロン」を繰り返し唱えるので『ぼろ、
ぼろぼろ、ボロン字』と呼ばれたのだ」と気づきました。
ありがとうございます。

「ボロは着てても 心は錦」。いや「人間は見た目です」とは
「綾小路きみまろ」の言。私も「きみまろ」に賛成です。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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