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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧は善玉から悪玉へ 

2011年01月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



虚無僧の普化宗は明治4年廃宗となったが、
明治23年、虚無僧尺八愛好家によって、京都東福寺の
塔頭善慧院内に「明暗教会」が設立される。設立に
あたった面々は、それなりに学識もあり、家柄もよく
立派な人たちだった。最後の虚無僧といわれた谷狂竹も
兄弟は医者で、軍医、軍の高官とも交流があった。

戦後しばらくは、虚無僧は善玉だった。人気俳優が
演じる虚無僧の映画が いくつか上映されたからだ。

S25(1950)年 『虚無僧屋敷』 嵐寛寿郎
S30(1955)年 『虚無僧系図』 市川歌右衛門
S36(1961)年 『鳴門秘帖』  鶴田浩二

鶴田浩二演じる法月(のりづき)弦之丞は、まさに白面の
貴公子、青年美剣士として女心を魅了した。それを真似て、
尺八を習い始め、虚無僧の恰好をして 得意げに門付けする
人が多く出た。私もその一人かも。

それが1970年代になると、テレビの時代劇では、虚無僧は
悪役として登場するようになった。萬屋金之助の『子連れ
狼』でも、佐藤慶演じる柳生石洲斎が 虚無僧姿で現われ、
卑怯な手を使って 拝一刀を討ち果たす。

だから、虚無僧を“悪人”と思っている人が多い。
鈴花も「虚無僧は悪い人だと思っていた。手にしている
竹は武器で、尺八という楽器だとは知らなかった」と。

江戸の昔も昭和の時代も、芝居や映画で 虚無僧は大衆に
浸透していったのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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