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平成の虚無僧一路の日記

五木寛之 『 親鸞 』 激動編 12 

2011年01月13日 外部ブログ記事
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1/13 中日新聞 『親鸞』(五木寛之)

前日は「ゲドインの行列の後から続く集団は、親鸞の
想像を絶していた」で 終わった。一体 何だろう?。
早く続きを読みたい。朝5時前、朝刊を受け取るのも
もどかしい。

「すげえ」。それは「何百人もの乞食 ( こつじき ) の
集団」だった。「家族から見放された重病人、目や
手足の不自由な者、気のふれた娘、ぼろくずのような
人の群れ」。そして、彼らを護衛する白覆面の大男が
大音声でいう。「よいか、皆の衆、世の偉い坊さま方は
『悪業の報い』というが、それは違う。この人々は、
そなたたち世間の業を背負って、病み、貧にあえぎ、
苦しみを受けているのだ。世の中で もっとも 心やさしく、
汚れなき者たちが、そなたたちの身代わりとして、
業を引き受けてくれているのだ。そなたたちは、一度
でも嘘をついたことはないのか?」と。

もう涙があふれる。障害者を『世の中でもっとも
やさしく、汚れ無き人』と。

浄土真宗の信徒でも、このような法話を聞いたことは
無いのでは?。五木寛之の『親鸞』はフィクション(創作)
だろうが、氏は語っている。「親鸞が 私に書いてくれと
云われている。その声に導かれて、自然にペンが走るのだ」と。

“ぼろくず”のような人を「聖人」として崇(あが)める
習慣が古来日本にはあったのだ。虚無僧は、その元は、
薦(こも)を被った「こも(薦)」。ボロをまとった「暮露
(ぼろ)」だった。その「こも」も「こも僧」として、布施
する対対象となったのだ。

40年ほど前、初めて虚無僧の旅に出た時、「おこもさん」と
呼ばれたことがあった。「こもそう」の丁寧な呼び方かと
ホクホクしたものだが、「おこもさん」は「乞食」の
別称だと知ったのは、随分後のことだった。
天蓋は「薦(こも)」の名残かと思えてきた。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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