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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜
「政界」報道を憂う
2011年01月08日
テーマ:テーマ無し
2011年、私たちは本当に輝かしく希望に満ちた新年を迎えたのでしょうか。私たちは社会に誇りを持つことができ、政治は私たちの願いを少しでも実現し、経済には力強さが戻り、誰もが安心して暮らせる制度が充実するのでしょうか。将来へのツケは減るのでしょうか、官僚の腐敗は根絶できるのでしょうか……。
どれもこれも満ち足りないのが現実ですね。これほどまで日本国民が日本の進む道に危機感を感じて年を越したのは近年にない出来事でしょう。私はオーストラリアに住んで、いわば地球の裏側から日本の出来事をつぶさに観察していますが、特にこの数年日本の政治・外交、それに経済政策に強烈な不満と怒りを感じ、暗澹とした思いに陥っています。
私たちが選択した民主党の政権がこれほどまで期待を裏切り、お粗末な政権運営しかできないことが白日のもとにさらけ出されたこと。政治家の人格と知性・見識の低劣さが明確に証明されたこと。経済の面でも社会保障の面でも、外交の面でも、将来への希望が萎えてしまったこと……。もちろん、これらが暗澹とした思いの元凶です。
しかし、もう一つ是非指摘しておきたいのはマスコミの政治報道の姿勢です。もちろん上記の現実はマスコミの報道によって知り得たことですが、その姿勢は芸能界のゴシップ記事のそれと大した違いがないという悲しい現実です。様々な政策や法案、社会制度や国際関係を幅広く検証してその是非や方法、改革の方向性などを伝える本来の「政治報道」から外れ、内閣改造・予想の顔ぶれとか新年会出席者数の比較で派閥の勢力図を描いてみせたりなどという「政界報道」に躍起となっているのです。
姑息な政治家はその報道姿勢をずる賢く利用して政敵への圧力・攻撃手段に利用し、マスコミもそれをありがたいネタとしてご丁寧に記事にするという構図が確立してしまっているのが現実でしょう。そして、こうしたマスコミ自身にとって都合の悪い指摘はマスコミが自ら記事にはしないという理不尽なやり口がまかり通っているのです。
なるほど、多くの読者・視聴者は政界のゴタゴタを芸能ゴシップと同じ見方・レベルで受け入れているのは確かでしょう。政治家個人のバカさ加減や狡さ、能力のなさ、協調性の欠如、権力にしがみ付く姿勢、カネへの執着……等々、たしかに興味深く面白いネタではあります。政治家の低レベルは民度の象徴ですから仕方のない面もありますが、マスコミが自らレベルを下げて低級読者に同調・迎合すれば(そんな意識はないのでしょうが)、自らの首を絞め日本の将来に禍根を残すことになります。
去年の暮、ウェブサイトの新聞読み比べ「あらたにす」に元朝日新聞「天声人語」のコラムニスト、栗田亘さんが「あらためて『政界部』化を問う」を投稿し、興味深く読みました。「政界部」というのはマスコミの政治報道にあたる部署の「政治部」が政界のゴタゴタばかりを熱心に書くので、それを危惧して使ったことはお分かりですね。
その中で、栗田さんは読者の投稿川柳を紹介しています。
どうしても波風立てたいマスメディア(下永功)
マスコミは率先ねじれにじゃれている(原隼)
政界ゴシップにはしゃぎ、政治屋と同じように本道を外れた所で右往左往しているマスコミを冷めた目で揶揄し、チクリと皮肉っているのが面白いですね。投降した方のような人も本当は多くいるのだと思うとうれしくなります。栗田さんは最後に次のように締めています。
―― さて、これまで述べたことの大筋は、7月15日の本欄に〈「政界部」になる恐れはないか〉と題して書いた内容と大差ない。大差ないのにあえて繰り返すのは、政治メディアが「政界部」に変容する恐れがこの半年近くでさらに増したのではないか、と疑うからである。政界ゴシップに興じるうちに、疑わずゴシップ漁りを競うようになっては世も末だと思うからである。
哲学者の鶴見俊輔さんが、以前に語ったことがある。「国家が悪くなるとき、新聞もやはり国家と等速で落ちていく」
落ちないためにはどうすればよいか。新たな年は、正念場になるのではないか。――
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