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2015年10月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:俳句教室

 別題 わさおの俳句教室日誌・前言撤回


 俳人、津軽わさおは、2015年5月13日から通い始めた俳句教室で俳句修業に励むとともに、2015年7月17日からは「俳句ポスト365」に投稿を開始し、腕試しと研鑽に努めている。


 「俳句ポスト365」は、愛媛県の松山市が運営する俳句の投稿サイトであり、全国から投稿が集まる。なにしろ、正岡子規大先生を生んだ松山である。俳句の本場中の本場でだから、挑戦し甲斐がある。



 記念すべき「俳句ポスト365」への第1回目の投稿時に、ブログ記事の中で、津軽わさお作の句に関し、次のように書いた。


 終戦日 白きハンカチ 涙ふく


 掲句は、五七五ごとに一字空けている。


 「俳句は五七五の間を空けず一行に縦書きするのが正しい表記です」ということは、承知している。「俳句ポスト365」への実際の投句は、五七五の間を空けずに一行に書いた。


 俳句の正しい表記だと言われれば、それに従うわけだが、私は、なぜ五七五の間を空けてはならないのかと思う。江戸時代からそうしているからなんだろうか。


 しかし、インターネットの今の世は、ネットのブログ記事なんかでは、五七五ごとに一字空けしている方が多いのではないだろうか。それは、一字空けした方が読みやすいからである。


 それと、空けた一字に、つまり言わば行間に、漂うものがあるからである。その漂うものがいいのだ。



 あれから3か月。俳句の初心者は、日々勉強することばかりである。で、犬も歩けば棒に当たる。俳句修業をしていると、初体験によく出会う。今日もまた、初めて見聞きすることに出くわした。


 俳句は、五七五の十七音字で作る。それは、そのとおりなのだが、それを前提とし、大事なのは、五七五の十七拍だということである。


 このことは、長谷川櫂先生の著書「決定版 一億人の俳句入門」の17頁以下で知り、なるほど、と思っている。


 拍とは、一定の時間的な間隔をもった脈拍で、五七五の十七拍で読めるのであれば、五七五の十七音字ベースでの十七音より少ない「字足らず」や十七音よりも多い「字余り」の句もなんら問題ない。


 世移り蘆の中洲はもとのまゝ 高浜虚子


 掲句は、「世移り」は「ようつり」、「蘆の中洲は」は「あしのなかすは」、「もとのまゝ」は「もとのまま」で、四七五の十六音である。「ようつり」は、四音字の字足らずであるが、読むのは、五拍で読む。


 つまり、「ようつり」は、「よ・うつり」で、「よ」のあとに音のない一拍が入る。「ようつり」の「世移り」は、平板だが、「よ・うつり」となれば、「世」が、そのあとの音のない一拍で、強調される。強調されたうえで、移るのである。


 結果、強調される「世移り」に対し、「蘆の中洲はもとのまゝ」とくる。この対比が詩情豊かなのだ。


 旅に病で夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉


 掲句は、芭蕉の名句である。「たびにやんで」、「ゆめはかれのを」、 「かけめぐる」で、六七五の十八音であり、「たびにやんで」が「字余り」である。


 六音の「たびにやんで」は、五拍で読む。つまり、一音ごとの速度が定型の五音の場合より早くなる。そのことで、死を目前にする芭蕉の切羽詰まった思いが表れている。


 以上のことを理解できたことにより、前言を撤回する。まさに、「俳句は五七五の間を空けず一行に縦書きするのが正しい表記で」ある。そして、伏して申し上げる。ごめんねごめんね。







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