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島津斉彬「君主は愛憎で人を判断してはならない」 

2015年09月21日 外部ブログ記事
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島津 斉彬(幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主、島津氏第28代当主)

薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人です
下級武士西郷隆盛、大久保利通ら幕末に活躍する人材も育てた
「十人が十人とも好む人材は非常事態に対応できないので登用しない」頑固者を登用?
NHK「知恵泉」より












島津斉彬(ネットより引用)

島津斉彬が藩主になるまで
ハイカラな趣味を持ち、あらゆるものに興味を抱く
斉彬が藩主に就任となれば、公金を湯水のごとく費やし、藩財政が困窮すると心配された
父斉興は斉彬が40歳を過ぎても家督を譲らなかった

島津斉彬藩主時代
藩の富国強兵に努め、洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造などの集成館事業を興した
土佐藩の漂流民でアメリカから帰国したジョン万次郎を保護し、藩士に造船法などを学ばせた
洋式帆船「いろは丸」を完成させ、又西洋式軍艦「昇平丸」を建造し幕府に献上している
蒸気機関の国産化を試み、日本最初の国産蒸気船「雲行丸」として結実させた
下士階級出身の西郷隆盛や大久保利通を登用して朝廷での政局に関わる

島津斉彬、将軍継嗣問題で井伊直弼に敗れる
斉彬は、次期将軍は慶喜を推し、篤姫を近衛家の養女とした上で家定正室として嫁がせるなどしている
斉彬は、公家を通じて慶喜を擁立せよとの内勅降下を請願している
井伊直弼は、紀州藩主・徳川慶福を推し、井伊は反対派を弾圧する安政の大獄を開始する
慶福が第14代将軍・徳川家茂となり、斉彬らは将軍継嗣問題で敗れた

島津斉彬最期
鹿児島城下で練兵を観覧の最中に発病し死去した(享年50)
死因は、コレラ説?(あまりに急な死は、父・斉興や異母弟・久光または支持者の陰謀?)
海音寺潮五郎が小説『西郷隆盛』の第二版から毒殺説に転じた

島津斉彬人物・逸話
斉彬により着手された殖産興業の一部は、尚古集成館に展示されている
ガラス工芸品は薩摩の紅ビードロとして珍重され、大名間の贈り物としても用いられた
近来になり復元・復興に成功し、薩摩切子の名で生産されている
最も早く写真に撮影された大名です
松平慶永(福井藩主)、山内豊信(土佐藩主)、伊達宗城(宇和島藩主)らと並んで幕末の四賢侯と称された

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