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身延山久遠寺参拝(台風接近中で大雨) 

2015年09月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



久遠寺(宗派:日蓮宗総本山、本尊;三宝尊、開山:日蓮)

日蓮が、佐渡での流刑を終えてた日蓮を招が、草庵を構えた場所です
法華経の読誦・弟子信徒の教化育成、蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した場所です
「青春18切符」利用し参拝しましたが、電車も大遅延でした
身延山で食事中、僧侶から法華経の本戴きましたので、明日のブログへ投稿予定










身延山久遠寺

日蓮の立正安国論
日蓮は、『立正安国論』の中で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じないから
原因は浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難しました
浄土宗などを放置すれば、国内では内乱が起こり外国からは侵略を受けると唱えました
法華経を中心とすれば(「立正」)国家も国民も安泰となる(「安国」)と説きました
「立正」とは、正しい仏法を立てること
「安国」とは、国を安んずることをいいます

「お経」の中での「法華経」
お釈迦さまの教えをまとめた「お経」の数は、約8万以上有ります
日蓮宗が一番大切にしている教えが「法華経」です
法華経には、お釈迦さまの本当の心があらわされており、すべてのお経が含まれています
この世をイキイキと生きるための、仏教のエッセンスがつまった"教えの集大成"です

日蓮の身延山での9年間の生活
日蓮は、身延山西谷に伽藍等地元の武士のサポート等で創立しました
「人は無きときは四十人」とあるように、大人数で生活をしていました
日蓮はこの身延山をインドの霊鷲山に見立て、信仰の山として位置づけていました
日蓮真筆の曼荼羅のほとんどが、身延山で手がています

現在の久遠寺の歴史
室町時代、法主日朝により、西谷から現在地に伽藍が移転されました
戦国時代には、甲斐武田氏、河内穴山氏の庇護を受け、門前町が形成された
江戸時代には、日蓮宗が徳川氏の帰依を受け発展し確固たる地位を確立しました
文政、明治の大火災で、伽藍や寺宝を焼き尽くしたが、日鑑の尽力により現在に至る
身延山は日蓮教団における最高の聖地であると位置づけられいます
日蓮の遺骨は、歴代の法主により、日蓮の遺言通り今日まで護られている

久遠寺本堂
本尊は、日蓮聖人真筆大曼荼羅本尊を木造形式にしたいわゆる立体曼荼羅
釈迦如来像・多宝如来像・四菩薩像・不動明王像他日蓮大聖人坐像などからなります
坐像の多くは、慶派の流れをくむ江里宗平・江里康慧親子の作です

棲神閣祖師堂
日蓮聖人像を安置し、申し込みにより開帳されます
昭和天皇より下賜された「立正」の勅額あります

久遠寺祖廟
日蓮聖人の墓所と日蓮聖人が住んだ庵の跡があります
右側の墓は、久遠寺歴代廟、左側は六老僧日興上人他廟です

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