メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

M8, M9 & R-D1 for Someting I love ...323...

竹酔日記(3)... 

2015年09月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し












エンブレム問題を何回か取り上げてきたが,なぜこんなにしつこく書いてきたかというと,これが写真の持つ本質の一側面と関わり合いが深いと思ったからだ.
一昨日,TVで異なる2つの宣伝なんとかという雑誌の編集長が同じような意見を吐いていたことで自分自身に腑に落ちた事があった.要約すると,「酷似していても,コンセプトが違えばそれはオリジナル」だというのだ.えっ? 驚愕である.
小生が驚愕と感じたと同じように,同席していた弁護士が 「形,構成が似ていたらそのことだけで問題となる.著作権にかかわるのだ.コンセプトなんかは,いくらでも作ることができる」 と話していた.小生も同感.コンセプトなんてテキトウに小難しく体裁を整えて作り上げることくらい簡単なものだ.




     Leica M9+Zeiss Planar 50mm F2 T* ZM












コンセプトがしっかりして説明できればたとえ似てようが,オリジナルだ!と言い張れるのがどうもその世界の常識のようだ.
そもそもコンセプトなんてものは,いくらでも,どうとでもできる.実体としてできたもの,それ自体が評価され,批判されるものでなければならない.シンプルなデザインだから似ても仕方ないなんてことも言う租界の人間が多い.つまりはデザイン力がないということを自ら表明していることだ.
しかも,中にはシロウトがあのデザインとリエージュ劇場のそれとを比較して似ていると思うのは見る目がないからだ,というような趣旨の発言をデザイナーが行っている.
はぁ?デザインを見るのはだれ?あれはクロウトのためのデザインなんですか? 
あの違いが分からない者は,アニメのキャラクターの違いが分からないオカンのようなものである,というデザイナーもいる.ついでながら,今のアニメのキャラクター(顔かたち)が似たり寄ったりであることは事実だ.漫画家の画力のなさを示していることに他ならない.それと同じことがデザイナーにだって言える.

結局,コンセプトだなんだと人を煙に巻く口の上手いものが生き残れる.このコンセプトこそがその業界のコンセプトなんだと思った.
加えて,受賞歴のある有名デザイナーらの作る小さなコミュニティーによる談合体質(受賞者のたらい回し)の存在が一般人にまで知れ渡るようになった.この談合体質がエンブレム選考応募資格( 「オープン」 だと組織委員長が述べていたが.ウソ)にも現れていて,実際には佐野氏が選ばれるようなタイトな条件だったことも分かった

翻って写真世界ではどうだろうか.さすがに写真でもろパクリは難しいのだろうが,やたらとコンセプトを滔々としゃべったり,記事に書いたりするプロと呼ばれる人たちがいる.この手の人たちに違和感をずっと感じていたが,その虚構性が今回の佐野騒動で同じ水脈にあるのだと気づかされた.
ある写真教室では,プレゼンのしかたを特集で教えている.コンセプトのひねり出し方やどう理屈づけるかなど伝授しているらしい.欧米からの受け売り,あるいは影響だという.
写真を鑑賞する側も,どういうコンセプトで撮ったのかとすぐに聞く人がいる.いかにも私は写真を分かっているのですよと言わんばかりに.写真をコンセプトで撮る.それが一見しっかりしている岩盤の上に立って写真を撮っているかのように思えるが,ほんとにそうかい? その答えは,今回の騒動で見えたのではないか.
何の変哲もないシャッター街の写真を撮り,ああでもない,こうでもないとコンセプトを被せる.これで高尚な写真が一丁できあがり.写真は説明がないとわからない.撮影者の思考がわからない.だからコンセプトを被せる.
それでいいのか?
コンセプトを押し出すものにろくな写真家はいない.三百代言と人は言う.

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ