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角館(一度行きたい町) 

2015年09月02日 外部ブログ記事
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角館(秋田県仙北市の地名)

武家屋敷等の建造物が数多く残されており、東北でも有数の観光地です
「みちのくの小京都」とも呼ばれています
BSテレビ(角館)より








角館(ネットより引用)

歴史、前史
関ヶ原の合戦後、佐竹氏が秋田へ入部し久保田藩領となる
佐竹義宣の実弟にあたる蘆名義勝が、所預として角館に入った

角館城下町の建設
西は自然の堀、北が丘陵地、東は小残丘が点在、南にひらけ、天然の要塞をなしている
城下町では、下水を整備し、防火対策を施して武家地、町人地、寺社を配置した
西に土塁を築いた「火除け地」をつくり、北側を武士の居住区である内町、南側を町人の居住地である外町とした
蘆名氏の支配は3代続いたが、蘆名千鶴丸の死により蘆名氏が断絶
佐竹氏の分家の佐竹義隣が角館に入り、明治まで11代続いた

角館は、小京都
佐竹義隣の実父は京の公家高倉家で、義隣は高倉家からの養子
佐竹義明も、公家の娘を正室に迎えた事から、角館には多くの京文化が移入された
角館には、小倉山などの京にちなんだ地名が見られます

戊辰戦争
戊辰戦争では、新政府側に立ったことから、周辺諸藩の侵攻を受けた
角館側は西国諸藩の応援を得て、二日間にわたる攻撃を凌いだ
東北諸藩が続々と新政府に降伏したので、列藩同盟側は、撤退した
戊辰戦争では、藩内各地が戦場となったが、角館は戦禍をまぬがれた

明治以降
角館は藩政時代を通じて仙北郡の政治経済の中心地であったが、廃藩置県以降はその地位を喪失
郡役所は、大曲に置かれ、郡の中心地は大曲へ移った
明治の近代化の影響を受けず残され、武家屋敷地区が「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された
多くの観光客が訪れるようになり、秋田新幹線開業後は観光客はさらに増加している

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