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平成の虚無僧一路の日記

30年前、ソ連・ミグ25戦闘機 函館不時着の教訓 

2015年08月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今から40年前の1976年9月6日、MiG-25戦闘機が突如、函館空港に
降り立った。ヴィクトル・ベレンコ中尉の亡命事件。すっかり忘れてい
ソ連(当時)からの侵入を やすやすと許してしまった 国防のお粗末さが
露呈したのだ。当時は、低空飛行で来れば、レーダーでは捉えられな
かったのだ。
問題はそれから。ソ連は最高軍事機密の「ミグ25戦闘機」の構造を
日米に知られてはまずいと、戦闘機の爆破を画策した。その情報は
アメリカ軍から伝えられたが。当時、官邸は何も指示命令を発しなかった。
どうして良いか対処法がわからなかった。
北海道の自衛隊は、官邸からの指令がないまま、高射砲、戦車、
戦闘機に実弾を込め、ソ連の襲撃に備えた。
このことは 「シビリアン・コントロール」に違反することとなる。
太平洋戦争は「軍部の独走」と云われているが、いざという時
何もできないのも 恐ろしいことだ。今、中国、北朝鮮からの攻撃の
不安が高まりつつある。自衛隊の能力は、40年前とは格段に
進歩したが、問題は指示命令系統の混乱だ。大丈夫かニッポン。
 
<おまけ> ソ連がひた隠しにしたかったミグ戦闘機の秘密とは?
機体は熱に強いチタン合金ではなく鉄板。電気系統は真空管。
最新鋭、最速と恐れられていたミグ21は、旧式でお粗末なもの
だったのだ。解体に当たったアメリカ人もびっくりしたとか。
ああ恥ずかしい。 

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