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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

1−2 なぜ移住なのか(その2) 

2010年12月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

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この項は(その1)からの続きです。<br />
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<b>美しいく美味しい日本</b><br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9a/60/shigemi_akamatsu/folder/732559/img_732559_33727742_0?1292151867" alt="イメージ 1" class="popup_img_300_400 clearFix alignRight"> 日本の欠点ばかりをあげつらって来ましたが、良い点ももちろんあります。当たり前のように思っている日本の素晴らしい面を再認識するとともに、さらに良くなって欲しいという願いを込めて、ここでも少しだけ挙げてみましょう。<br />
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 私たちはめぐり来る四季の変化を当然のように受け止めていますが、これほど多岐にわたる自然の楽しみや恵みを享受できる国は少ないでしょう。例えば夏の暑さ。簾や風鈴、浴衣に団扇、西瓜に花火と工夫を凝らし、床の間の掛け軸や生け花まで涼しさを演出するような文化は世界でも稀でしょう。これが春夏秋冬、衣食住のすべてに関わってくるのですから大変といえば大変ですが、私たちは逆に楽しんでさえいるのです。それだけではなく、こうした四季の移ろいは日本人が情緒豊かでしかも繊細な心と独特の美意識を持つ民族になった大きな要因ではないかとさえ思います。ただ、今の空調の利いた部屋では鈴虫や田んぼの蛙の鳴き声さえも聞こえませんが。<br />
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 日本の四季には折々の花々や木々の美しさばかりでなく、旬の食材や料理の喜びもあります。私など食いしん坊で、夕食は毎日居酒屋メニューになるので各々の季節の料理が本当に楽しみなのです。竹の子ご飯、鰹のたたき、栗ご飯、ふろふき大根……、思い浮かべるだけでもよだれが出てしまいます。料亭でいただく機会があれば品の良い調理、美しい盛り付けに感激し、配膳のタイミングの良さにお酒も心地よくすすんでしまいます。食材と調理法の多様性、食事の作法、料理に相応しい食器、部屋の調度などが一体となって素晴らしい食文化を形成しているのです。<br />
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 日常の食生活でさえ私たちは中華、イタリア、フランス、韓国……等々の料理をごく普通に作ったりします。ギリシャやスペイン料理も得意な料理好きの方も珍しくはないでしょう。これほど豊かな食生活のある国は他になく、私たちはこれを再認識し、誇りに思っても良いでしょう。ただ、食べることについては後で書くつもりですが、貧困や騒乱などの場合は別として、どこの国の人でも自分達が食べているものが最高に美味しいと思っているに違いありません。誰もわざわざまずい食事を望むわけはないからです。そのことはしっかりと理解しておくべきでしょう。<br />
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<b>豊かな歴史と文化</b><br />
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 世界の文学の面で貴重で誇るべき遺産として、誰もがシェークスピアやセルバンテスの文学を挙げるでしょう。「ドン・キホーテ」のセルバンテスは1547年、「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」のシェークスピアは一五六四年の生まれで共に1616年の没、16〜7世紀の世界の金字塔です。<br />
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 ところが、我が日本ではすでに8世紀の奈良時代、「古事記」「日本書紀」「万葉集」などの史書や文学が編まれ、続く12世紀までの平安時代には日本独自の平仮名と片仮名が用いられ始めて「源氏物語」や「枕草子」などの薫り高い文学が生まれているのです。さらに近世、現代にいたるまで文学ばかりでなく広く芸術の分野は質量ともに抜きんでた果実を綺羅星のごとく残しています。<br />
 そして、科学技術や工業生産などの面ではもはや世界をリードして行く立場にあることは誰もが認めるところで、一つひとつ具体例を挙げることもないでしょう。<br />
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<b>では、なぜ?</b><br />
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 私が感じた日本の良さと欠点はこの他にも本当に多くのことがあるのですがそれを細大漏らさず挙げることが目的ではないのでこの程度にして、もう少し急いで話を先に進めなくてはなりません。<br />
 私は日本の欠点に義憤を感じて、逃避するために移住したのでしょうか。多くの友がありこんなに素晴らしい文化があるというのになぜなのでしょうか。さらに、移住先のオーストラリアには日本よりもっと素晴らしいことがあって、日本にあるような悪い面はないと言えるのでしょうか。言葉や健康の問題はないのでしょうか。<br />
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 自身で疑問を提示しておきながら、その解答を一気に示すことは、前にも記述したように、大変難しいことです。無責任かも知れませんが、最後まで読んでいただければ私の考えが理解できるように努力します。親しい友人との別れ、言葉や健康・医療などについては別の章で記述したいと思います。<br />
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 ただここで理解していただきたいことは、私が移住の意思決定をした根拠は決して日本とオーストラリアの間の良し悪しの差引勘定ではないということです。第一、日本の事情は分かっていても高々10日間ほど3回の滞在と、出版物、インターネットなどの情報でオーストラリアの細部を知ることは到底できません。逆に知らないからこそ、私たちは移住先がどのような国で、日本とはどのように異なるのか、土地の人たちとの様々なお付き合いや社会の仕組みに組み込まれて、体で理解したいと思ったという方が正しいでしょう。<br />
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 定年退職した私に残された時間を考えたとき、何もなければあと30年は生きているだろうけれど、健康と気力を保っているのはせいぜい20年だろうと、当然のことを考えました。そして、私の生涯で異文化を本当に知るのはこの機会を逃せばありません。数か月の滞在型旅行では満足できなかったのは、異文化をうわべだけで見聞きしたしことを根拠に祖国を判断してはならないと思ったからです。<br />
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<tt>コラム</tt><br />
<b>大きくても静かな選挙</b><br />
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 2007年11月、オーストラリアの総選挙が実施され、11年間という歴代2位の長期政権を続けた保守連合が敗れ労働党が政権を奪回、ケビン・ラッド党首が首相に指名されて新しいオーストラリアがスタートしました。労働党は社会主義を標榜しているわけではありませんが、ラッド新首相は元外交官で中国語を自由に話すほどの中国通。オーストラリアの経済関係が日本中心から中国にシフトしているだけに、日豪の関係がどう展開して行くのか注目せずにはいられません。<br />
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 オーストラリアの連邦議会は上院が定数76で任期6年、下院は150で任期3年。上院は3年毎に半数が改選されます。下院は全国を150の地区に分けて行う小選挙区制で、有権者は立候補者全員に優先順位をつけて投票し、最高得票者が全体の過半数を得ていれば当選、過半数を得ていなければ順に最下位の候補者の得票を分配して過半数になるまで繰り返して当選者を決めます。上院は各州を1選挙区にして複数の議員を選ぶ大選挙区制です。<br />
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 日本と大きく異なる制度は投票が義務化されていることです。18歳以上の国民は連邦の選挙人名簿に登録して地方選挙を除いて州と連邦の選挙では投票の義務を持ち、正当な理由がなく棄権すると罰金が科せられます。この義務投票制は1924年に導入されましたが、以来投票率は90%を割ったことがないと言います。投票日は土曜に設定されます。<br />
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 選挙の雰囲気もまるで違います。街宣車から大音量で候補者の名前を連呼、「お願いしまーす!」と絶叫したり、「苦戦いたしております」と泣き落とそうとしたりする方法は全くありません。日本で選挙が始まると私はその騒音で憂鬱になったものです。こちらではテレビや新聞が候補者の情報を得る大きな手段となり、選挙運動は学校の登下校時に送り迎えの親にパンフレットを配ったり、BBQのパーティなどを開いて公約を発表し支持を訴える程度で拍子抜けするほど静か。穏やかな毎日は普段と変わりません。選挙の時だけ急にニコニコ、ペコペコでやたら握手して回るような候補者もいません。<br />
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 世界に先駆けてオーストラリアが近代民主主義の選挙制度の基盤となる改革を実施してきたことはあまり知られていないようです。1855年にヴィクトリア州が無記名投票を導入、翌56年には南オーストラリア州が職業や財産による投票資格を廃止し、1902年には国政レベルで女性に参政権を与えました。アメリカが1920年、日本やフランスが1945年に女性の参政権を認めていますからオーストラリアの開かれた選挙制度は際立っています。<br />
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