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徳川幕府最大の功労者?前田利常 

2015年07月11日 外部ブログ記事
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前田利常⇒江戸時代初期の武将大名、加賀前田家3代

徳川幕府が300年続いたのは、将軍に次ぐNO2の前田家と天皇の「忍」が貢献
『一向一揆国』&『阿弥陀仏がトップの国』を、前田利常は、内政で統制した
幕府に批判的な、後水尾院とも深く親交していました
前田利常は、加賀前田家の中興の祖です
NHK『英雄達の選択』より引用






前田利常(ネットより引用)

前田利常の幼少期から家督相続まで
加賀藩祖・前田利家の4男として誕生
兄に子供がいなかった為兄の養子となる
豊臣・徳川の関係より、兄利長は隠居し、利常が第2代藩主となる

前田利常の藩主時代
大坂冬の陣では徳川方として参戦し、真田丸と戦い敗北した
大坂夏の陣では、前田軍1万5千人は、大坂方の大野と戦い勝利した
前田軍は、3千2百の首級をあげた
家康が死の床に就いた際、利常に対して「将軍の厚恩を肝に銘じよ」と述べたという

「寛永の危機」(前田利常に対する謀反の嫌疑)
金沢城を補修の理由
大坂の役の際に勲功があったとして追賞した理由
他国より、船舶を盛んに購入したりした理由
家老の横山長知の子の康玄の弁明より、からくも疑いを解くことができた

前田利常の内政
京風文化の移入にも努め、「加賀ルネサンス」と呼ばれる華麗な金沢文化を開花させた
治水や農政事業(改作法)などを行い、「政治は一加賀、二土佐」と讃えられた
御細工所を設立するなど、美術・工芸・芸能等の産業や文化を積極的に保護・奨励した
利常は治世の間、徳川将軍家の強い警戒に晒されながらも巧みにかわして120万石の家領を保った

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