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朱鷺の“人生七転び八起き”

すべて、いつも、新しい 

2015年07月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


怒り。というのは、つまり起こることを 自分の問題としてとらえない。ということじゃないかなぁ? 起きていることを否定する。抵抗する。ということは。こんなことが起きるのは 誰かが悪い。何かが悪い。そして責める。 責める対象は、個人であったり、社会・自然現象である。 そこには「こうでなければならない」がありますね。 「こうである」だけが、そこにあると 責める必要がないのです。 起きている事実だけがある。起きてくること。起きていること。を、起きたまま、見る。 そこで心は、乱れることがありません。「こうでなければならない」と思っているのは 自分はすべてを知っていて、こうなると予測していて それが間違っていてはならない。 とか〜思っているんじゃないかしら? そういう時は、人の話なんて聞きませんね。 現象を、そのまま見るも、できません。 なんたって「自分はもう知っている」のですから。 人(現象)から教えてもらう(気付く)なんていう姿勢はありません。 「こうなんだ」「こうであるべきなんだ」に 凝り固まっていますよね。 そんなふうに、いっぱいになっているトコロには 何も、入って(起きて)きませんね。 天国の門は狭く・・・幼子の心でなければ通り抜けることはできない〜とか、言いますが。幼子の心。というのは 「こうであるべき」がない状態かな。だから、すべてが、初めてのこと。良い悪いはなく。得か損かもない。そこだけに直面する。

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